目次
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ー いつも違う花が添えられていて
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ー 墓地代は“数千万円”
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ー 「これで仕事を辞めたい」

 4月3日は、田村正和さんの一周忌だった。

「亡くなっていたことが公表されたのは、1か月以上がたった5月18日でした。プライベートを見せないという“美学”を最後まで貫きました」(スポーツ紙記者)

 田村さんが暮らしていた東京・成城では、今も故人を偲ぶ声が聞かれる。近所に住む女性に話を聞いた。

子どものころ、田村さんの娘と仲よくさせてもらっていて、自宅にも遊びに行っていました。当時は今の大きな家の敷地に3軒の家が立っており、田村さんたち兄弟がそれぞれ住んでいたんです。たまに田村さんがいると、優しい笑顔で私たちが遊んでいるのを見守ってくれて。スタイルがよくてカッコいいおじさんだと思っていました。最後に会ったのは、亡くなる2か月前。朝の散歩をしていて“お父さんとお母さんは元気?”って、ニコッと笑ってくれました

いつも違う花が添えられていて

 現在は、残された妻が成城の家を守り、娘もよく訪れているという。

奥さんが1人だと広すぎるかもしれませんが、今もお住まいです。会えば挨拶もするし、変わらずお元気ですよ。田村さんは晩年、軽井沢に所有していた400坪超の土地にある別荘で過ごす時間が長くて、そちらに引っ越すという話もあったんです。でも、やっぱり田村さんは“成城で死にたい”と言って、引っ越しはやめたそうです」(別の近所の住民)

田村正和さんと妻の和江さん(1970)
田村正和さんと妻の和江さん(1970)

 田村さんの墓は、横浜市郊外の霊園にある。山を切り開いた広大な敷地の中、高台ではなく、低い場所に位置している。周囲の墓の5倍はあろうかと思われる広さだが、隅に五輪塔があり、その隣に小さな墓石が据えられている。

 来ていた人に話を聞くと、

いつも違う花が供えられていますよ。霊園との契約で、年5回の草むしりと、花も毎月替えてもらえることになっているようです。ご家族を見かけたことはありませんが、ファンの人が来ているのを見たことはあります