うつ病を引き起こした「毒母」の暴言

 2014年に誕生した次男は重度のダウン症だった。のちに、長男にも発達障害があることが判明する。

「ちょうどそのころ、父親が脳梗塞で倒れて、介護のため実家に戻ったんです。これがそもそもの間違いやった。下の子に重度障害があることを知った母から“あんたみたいな子は、あんな子(障害のある子)しか産めへんねん”と言われたんです」

 母親の暴言にショックを受けた上野さんに、夫の言葉が追い打ちをかけた。

「次男は心臓にも疾患があって、医者から“あと1年、生きられるかどうか”と告げられたんです。すると夫は“それなら早く死ねばいいのに……”と。そう聞いて生まれた夫婦の溝は、いまだに埋まっていません。“この子は私が守らなあかん”と思った」

 度重なるショックのため、うつ状態に陥った上野さん。ストレスが原因とされる突発性難聴も発症した。

 こうした心身の不調から勤務先の病院を退職したが、体調はよくならない。食欲はまったくなく、眠れない。母親の前ではストレスで過呼吸を起こした。死にたい気持ちにとらわれ、子どもたちの前でも口をついて出る。

 この時期、うつ病で苦しむ上野さんを支えたのは、長女の千草さんだった。

「本格的に弟たちの面倒を見始めたのは、大学3回生のときでしたね」(千草さん)

長女の千草さんは時折、子連れで『おかえり』を訪れている 撮影/齋藤周造
【写真】『おかえり』の2階、秘密基地のようになっている子どものスペース

 うつで育児ができない上野さんに代わり、朝目覚めたら弟たちを着替えさせ、朝食を食べさせ、学校に送り出す。夜も夕食を作って食べさせ、弟を風呂に入れ寝かしつける。その合間に上野さんのケアもしなければならない。

 千草さんが述懐する。

「母は自殺願望が強いとき、“生きていてもしょうない”と包丁を握り締めたり、コップの破片を手首に当てたりしていたんです。“人目が怖い”と言って、弟の保育園の送迎もできませんでした。今は誰が見ても“元気で明るい母”って感じだと思いますけど、まるで違っていましたね」

 家族の世話に追われた千草さんは就職活動もままならず、大学も半期遅れで卒業せざるをえなかった。あのころを思うと、上野さんは申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「『おかえり』にやってくる学生ボランティアは生き生きと、楽しそうにしています。でも、同じころに娘がどうだったかというと、授業に出て単位を取ることさえ難しい。楽しいことを何ひとつやらせてあげられなかった……」

 そんな母の言葉に、娘の千草さんは「後悔はない」と言い切る。

「私の大学時代はキラキラしたものではなかったけれど、全く悔いはないんです。今は結婚して、子どももできて幸せですし、これからのことをいちばんに考えています」

 当の上野さんも涙をぬぐうと、こう語り始めた。

「思い出すと泣けてくるんですけど、起きたことは起きたこと。振り返ったところで変えられない。そう思わないと、前に進めないんで……」