仕事を終えて、ほかの女の子と一緒に店を後にする杏里。以前よりもふっくらとした印象
仕事を終えて、ほかの女の子と一緒に店を後にする杏里。以前よりもふっくらとした印象
【写真】坂口杏里が歌舞伎町で闊歩、以前よりふっくらした印象

 彼女が3歳だった1994年、母は離婚。8年連れ添った相手は「地上げの神様」と呼ばれた不動産業者だったが、バブル崩壊によって転落した。母は知らぬ間に連帯保証人にされていたばかりか、家の登記簿や銀行預金の全額まで持ち出され、40億円以上の借金を抱えるハメに。返済のため、仕事漬けになるほかなかった。

我慢して過ごした幼少期

 そのかわり、母の母、杏里にとっては祖母にあたる人が面倒を見てくれたものの「絶対ママに甘えちゃダメよ。疲れて帰ってくるんだからね」と厳しくしつけられたという。

 そして、杏里が10歳ころから、母はプロゴルファーの尾崎健夫と付き合うようになり、やがて事実婚状態に。ただ、死の数か月前まで入籍しなかったのは「ママをとられちゃう」という娘の気持ちに配慮したからでもあった。

 さらにもうひとつ、芸能界入りした杏里は「美人のお母さんに似てない」「本当に娘かよ」などといった中傷によるコンプレックスにもさいなまれた。

 こうした孤独感や不全感を埋めようとして、ホスト通いにハマり、承認欲求を満たそうとしていたとも考えられるわけだ。

 ただ、'19年の年末には「夜の世界」で「自分の居場所」を得ることができたとして、

「180度……いや2周……720度くらい変わりました。(略)ちゃんと人間関係を結べている気がします」

 と、告白。たしかに、2度目の逮捕以降、お騒がせはしていない。

 母は生前、娘の「学のなさ」を案じていたが、人生経験から学べるものもあるのだろう。この結婚も、そんな学びの結果なのだ。授業料は高くついたかもしれないが――。

PROFILE●宝泉薫(ほうせんかおる)アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)