ダブルブッキングは当たり前

 いつも分刻みのスケジュールで、綱渡り状態。ついに大失態を演じてしまう。

「青江三奈さんや佐良直美さんたち大先輩が出る番組に大遅刻。何時間も遅れて到着したらスタジオは異様な雰囲気で、みなさん腕を組んで待っていたんです。“どなたかがマネージャー出てらっしゃい。オタクの事務所はどうなってるの? この子たちを殺す気?“って。すぐにマネージャーが謝ってくれたんですが、先輩にかばってもらえてありがたいのと同時に、マネージャーがかわいそうでしたね。当時はいろいろな人が事務所に来て、勝手にスケジュールを入れていった感じでした。ダブルブッキングは当たり前。断らない会社だったんです」

 ストレスのたまる毎日だったが、同世代の仲間に助けられた。

「変な言い方ですが、キャンディーズさんはすごくかわいいらしい先輩でした。私たちはブーツを履くと180センチ近くになっちゃいましたが、キャンディーズさんはみんな小柄だったんです。よく比較されましたが、とんでもない。いつも“ちゃんと寝てる? ちゃんと食べてるの?”って心配してくれました。百恵ちゃんも優しかったことを覚えています」

 '78年の『カメレオン・アーミー』まで、オリコンシングルチャートで9曲連続の首位を獲得。人気絶頂だったが、その年の大みそかに“事件”が起きる。NHK『紅白歌合戦』を辞退したのだ。

「オファーを断るのがプロデューサーだった相馬一比呂さんの長年の夢だったんです。“番組を選ぶ権利はこちらにある”って思っていたみたいなので、こちらからお断りしたかったのでしょう。でも紅白を辞退したことで、大人たちの見る目が変わってきた気がして、暗雲が立ち込めてきたなというのはなんとなく感じ取っていました」

 紅白の視聴率が70%を超えていた時代。いくらピンク・レディーが社会現象になっていても、スターたちが集まう紅白を断って挑んだ裏のチャリティー番組がかなうはずもなく、惨敗。次に出したシングル『ジパング』では、ついにオリコン首位を取ることができなかった。その後アメリカ進出を図ったものの、日本のメディアには「失敗」と報道されてしまう。