ピンク・レディー、アメリカ進出の成否

「当時は“アメリカの番組に出られたのは、お金を積んだからだ”って言われましたが、アメリカのショービジネスはそんなに甘い世界ではありません。ピンク・レディーは、アメリカの3大ネットワークと言われるNBCで冠番組を放送していたのに、悪いことしか書かれない。“大失敗”って書かれたときは悔しかったですね」

 実際には‘79年5月にリリースした『Kiss In The Dark』が全米ランキングの37位となり、'63年の坂本九『Sukiyaki』(『上を向いて歩こう』)以来のトップ40入りという快挙だった。

 アメリカでの活動を終えて帰国すると、途中でやめたのは増田の“恋愛”が原因だと報じられたが……。

「確かに恋愛も1つの理由かもしれませんが、やっぱりレコード大賞を取って紅白を辞退したころから、歯車が外れた感じはありました。私たちもこれからどうやっていけばいいかわからなくなり、スタッフも方向性に迷ってしまった。アメリカに行って成功しても日本ではネガティブに扱われたりとか、みんなの心の中にすきま風が吹いていきました。自分もどんどん追い詰められていったんです」

 ブームが終わることは、2人ともわかっていたという。'81年にピンク・レディーは解散するが、その後、ソロとして初めて出したシングル『すずめ』が大ヒット。

「最初の曲は、ヤマハの大先輩でもある中島みゆきさんに書いてもらいたいって強い思いがありました。残念ながらお会いすることはできなかったのですが、デモテープでみゆきさんの歌う『すずめ』を聞いたときは、何とも言えない衝撃でしたね。2曲目の『ためらい』は松任谷由実さん、3曲目の『らせん階段』は竹内まりやさん、4曲目の『女優』は桑田佳祐さんが作ってくださって。今思うと、すごい方ばかりですよね」