フリーになった矢先のがんとの闘い

 番組にも寿命がある。『とくダネ!』も長寿番組となり、視聴率に波が出始めると、若手を前に出すという方針で、笠井さんには後進の指導が任された。

 '18年に後輩の伊藤利尋アナが加入すると、笠井さんの出番は大幅に減った。

「日によっては1分しかしゃべれないときもあった。それで組織における自分の限界が見えたというのかな。フジテレビでの僕の役割は、もう終わったと感じたんです」

 会社を辞めようか?ただ、何の準備もしていない。意見を求めた相手とは、フリーの大先輩でもある小倉さんだった。

「笠井には映画とか芝居とか得意な分野があるんだから、フリーでも活躍できるよって、以前にもアドバイスしたことがあったんです。そう言って賛成しておきながら、彼が会社を辞めるのを、僕が1年遅らせてしまったんだけれどもね」

 半年後の秋。笠井さんは会社に辞意を伝えた。ところが、思わぬ情報を聞かされる。

フリーアナウンサー笠井信輔さん 撮影/山田智絵
フリーアナウンサー笠井信輔さん 撮影/山田智絵
【写真】病室から自身の情報を発信していた笠井さん

「小倉さん、11月にがんの手術をするそうだ」

 膀胱(ぼうこう)全摘出の大手術。復帰までには2か月かかる。そんな時期に会社を辞めるわけにはいかない。辞意は保留。

 小倉さんは手術を無事に終え、元気になって番組に復帰した。が、そのころから笠井さんは日増しに体調不良に悩まされるようになっていた。

 病院に通い、何度も検査を受ける。'19年9月30日、健康への不安を抱えたまま笠井さんはフジテレビを退社。一夜明けた10月1日に受けた検査でがんの徴候が見つかった。

 12月19日。笠井さんは『とくダネ!』に出演し、自分ががんであることを生放送で公表した。そして、その日のうちに入院。抗がん剤治療に身体も心もくたくたに。副作用で髪は抜け、じんましんで顔はボロボロになったりした。そんな、「ぶざまでカッコ悪い笠井信輔」を、毎日のようにブログにアップした。

「これまで僕は情報番組で有名人のプライバシーを伝えてきた。その自分ががんになって、そっとしておいてくれというのは違うなと思ったんです。もうひとつの理由は、がんで死ぬところまで記録すればドキュメンタリーとしての価値が上がると思ったから。自分が死ぬ覚悟はできていた。すべてを記録して病室から情報発信すればセルフワイドショーができるじゃないですか」

病室でますみさんと写真撮影 撮影/石川正勝
病室でますみさんと写真撮影 撮影/石川正勝

 明るく話す笠井さんだが、入院中は気力も体力も失せ、動くこともままならない日もあった。そんな笠井さんを、家族は笑顔で励まし続けた。

「大病するとみんなやさしくなるんだね」

 笠井さんがこう言うと、ベッドサイドでますみさんは答えた。

「あなたが素直になったから家族はひとつになれたのよ」

 がんになった自分を見つめながら、笠井さんは妻や息子たちの言葉に耳を傾けるようになっていた。カッコ悪いお父さんだが、家族としっかり向き合っていた。