長男の康平さんも経済アナリストに

長男・康平さん(左)も父親と同じく経済アナリストとして活動。共著の出版や番組での共演も増えている
長男・康平さん(左)も父親と同じく経済アナリストとして活動。共著の出版や番組での共演も増えている
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 森永さんには2人の息子がいる。長男の康平さん(36)は証券会社での勤務を経て、森永さんと同じく経済アナリストとして活動している。父親と同じ「経済のプロ」の道を歩むようになったきっかけを、康平さんはこう話す。

「僕は小児喘息で走ったりできなかったんです。不憫に思った父が“絵でも描けばいい”と、くれたのが、シンクタンクでの勤務時代に持ち帰ったレポートの裏紙。最初は絵を描いていたんだけど、同級生にいじめられてやめちゃった。それでヒマになって表側を読むようになったんです。もちろん、最初はチンプンカンプン。中学生になると(レポートの内容に)興味が湧いて、親父に“これ、どういうこと?”と尋ねると、マクロ経済とミクロ経済の分厚い教科書を手渡されたんですね」

 経済関係の本は大量に家にあった。康平さんは、それらを読んで独学で学んだ。大学は経済学部に進んだが、入学前から基礎知識が備わっていたために、ほとんど大学に行かなかったという。

 康平さんが言う。

「父はいつも不在で、わが家は母子家庭のような状態でした。唯一、毎年夏休みに家族で沖縄に行くのが恒例だったんです。僕は今、父の同僚や後輩だったみなさんと仕事をすることもあるんですが、当時の父が夏休みを取るために、必死で仕事をしていた話はよく聞きましたね。

 そんな父に母はいつも振り回されて、かわいそうに思っていましたよ。最近でも、父が仕事で手いっぱいのときは、母が畑の水やりをやらされているんです(苦笑)

 多忙を極めた生活はやがて身体をむしばんでいく。6年前、森永さんは医者から「このままでは余命半年」と警告を受けた。

「正直なところ、自分でも死ぬだろうなと思っていた。すごい糖尿病でしたから。入院するレベルのね」

 ライザップでのトレーニングを始めて減量にトライしたのは、ちょうどそのころだ。

「あれはCM契約だったんで、毎月計量があって、100グラムの誤差も許されないんです。まずはトレーニングに入る前に15キロくらい落として。そのあと、20キロくらい減量したんです。それも、たった2か月で」

 減量後も超多忙な日々は続いていた。そこへコロナ禍が襲い、マイクロ農業を軸に据えた生活に様変わり。現在の体調はいいという。

「医者たちがびっくりしていたんだけど、糖尿病が完全に治っちゃったんですよ。膵臓が壊れていなかったおかげらしい。こんなこと、めったにないって言っていましたね。今も検査はしていますが、治療はしていません」

 前出の神山さんが言う。

「森永さんにとって、マイクロ農業とは単にライフスタイルのことだけじゃなくて、生き方の激変だったと思いますね。実際、コロナ禍の前は番組出演もすごいし、睡眠時間もほとんどなかったはず。今年の夏に森永さんの畑に行ったとき、その畑には水道がなかったんですが、森永さんが2リットルのペットボトルを10本、自転車に積んで汗だくでやって来た。その姿を見て、以前の不規則な生活が想像できないほど、本当に健康そうだなあと思いましたよ」