冠番組終了後に手のひらを返す人も

『やまかつ』から誕生したユニット「やまかつWink」は瞬く間に人気に
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【写真】キュートすぎる山田邦子さんのデビュー時代

 プロデューサーと話し合ったが意見は分かれてしまい、邦子さんは番組開始からずっと協力してくれていた俳優の渡辺徹さん元体操選手の森末慎二さんに相談した。

ふたりとも“オレたちもこの状況をずっと我慢してたんだ”と言ってくれて。“ごめんね、気がつかなくて”と謝って、番組をやめることを決めました。楽しい番組を作ってるのに、陰で悲しんでる人がいるんじゃダメですね。私の責任だと感じました

 好きなタレント調査での女性1位は1996年まで続き、翌年は6位となった。それでもすごいことだが、“人気急落”とマスコミでは取り沙汰された。山田邦子のしあわせにしてよ』『邦子がタッチ』が同時期に終了。冠番組がなくなり、以来テレビ出演数はかなり減った。

手のひらを返す人もいましたよ。わざわざ私のところにきて、『お前はもうダメだ、死ね』と言って帰った女性の先輩もいます。でもね、私ばかりが番組に出ているのも、好感度1位が8年連続というのも異常ですよね。

 寂しいなとは思いましたけど、ブームのような状態が終わるのは仕方がない。私は学生時代けっこう成績が良くて100点とることが多かったんですけど、そうするとたまに95点だと、ひどくダメだったと言われる。そういうのはわりと慣れていたんです」

 仕事が減ったことも、スケジュールに余裕が出たとポジティブに考えた。運転免許を取ったり、念願だった舞台の座長公演も行ったり。新しいことに積極的に取り組んだ。

人気のことより、身近な問題がキツかったですね。私に大きなお金が入ってくるようになって、母が“家族がいちばん安全だから”と言って、私が20代半ばぐらいのときに会社を設立してお金の運用を始めたんですよ。

 それで、知らない間に、土地やビルを買って投資をしていた。勉強はしたみたいですけど、しょせん素人の運用ですからね。おかげで、私は休みなく働いてけっこう稼いでいるはずなのに、自分が欲しいものが全然買えない。

 仕事に関しても、母たちから“ギャラの高いCMの仕事だけやればいいのに”なんて口も出される。気がつけば、会社に出入りする人は増え、借金の額がすごいことになっていた。母が“お前がデビューしなければ、こんなことにならなかった”とか言い出して、それが苦しくて、苦しくて……。

 とにかく一度全部清算させてくれと頼んで、会社を解散してもらいました。30代半ばのころだったかな。結局その後4〜5年かけて借金を返してさっぱりしました。お金の流れがはっきり見えるようになりましたからね。でも、あのとき、素人の身内よりプロに運用を頼んでいれば、今ごろ大金持ちだったでしょうね」