目次
Page 1
ー 両親が殺された一夜。「あの夜すべてが変わった」
Page 2
ー たらい回しにされた幼少期と、消えた6000万円
Page 3
ー もしもあのとき……。暴走した罪悪感
Page 4
ー 今も戦う“窃盗の衝動”
Page 5
ー 母親が守ってくれた命の使い道

 6歳のある日、目の前にいた母親が殺された。

「『子ども達だけは助けて』そう言っている母の声がいまでもふとしたときに聞こるし、見えます」

 そう話すのは「碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件」の被害者遺族であるJINさん。彼は愛知県碧南市にて、パチンコ店店長の父親と専業主婦の母親の元に生まれた。両親が存命だったときの暮らしぶりをこう振り返る。

「恵まれていましたね。当時は珍しかった逆輸入のレクサスに乗ったり、水上バイクを持っていたり。それが、事件につながるわけですが」(JINさん、以下同)

両親が殺された一夜。「あの夜すべてが変わった」

 1998年6月28日、日曜夕方に事件は始まった。

「あの日は母と、僕と、2歳年上の兄が自宅にいました。17時ごろにインターホンが鳴り、母と兄は寝ていたので僕が扉を開けると3人の男が立っていた。思い出そうとしても顔は真っ黒ですが、柄シャツを着ていたことと、1人の男がピンクのゴム手袋をしていたことだけは鮮明に覚えています」

 その後、3人の男はJINさんの母親に「旦那さんの同僚だ。ヤクザから追われていて匿ってほしい」と説明した。

「お母さんは疑っていたみたいなんですけど、相手は男3人。なにもできなかったんだと思います。それで、お酒やつまみを出していました。男たちは和室で酒を飲みながら母と話をしたり、リビングで俺と遊んでくれたりしました。いま思えば見張っていたんだと思うけど……。兄は、2階の子ども部屋で眠っていました」

 何度も何度も聞かれたことがあるのだろう。事件の経緯についてJINさんは語り慣れていた。

少し時間が経ってから母の悲鳴と大きな物音が聞こえました。驚いて母のいる和室を覗くと、母は首を絞められていて『子どもたちだけは助けて』そう言っていました

 どうやって首を絞められたのか、どの男が最初に首を絞めたのかなど細かいところは覚えていないが、母親の姿と声だけはいまでも毎日夢に出てくるという。

「ここで、その日の記憶は終わっています。犯人のひとりに2階のクローゼットに押し込まれていたそうなんですが、全然覚えてない」

 3人の男はJINさんの母親を殺害してから、遺体のそばでサッカー中継を見ながら、酒を飲み枝豆をつまんだ。日付を跨ぎ29日未明、父親が帰宅。父親は妻が亡くなっているのを発見し、2階の子ども部屋にいた長男(JINさんの兄)に話を聞いた。その後、1階に戻った父親は風呂場に隠れていた犯人達に殺された。犯人は家にあった現金6万円と金のブレスレットを持ち出し、ふたりの遺体をJINさん宅にあったレクサスのトランクに押し込め、車ごと路上に放置。たった6万円のための殺人だった。

「父親が店長をしていたパチンコ店の鍵を持ち出して、店内のお金を取ろうとしたらしいんですが、入れなかったみたいです。滑稽ですよね」

 事件の翌日、JINさんは兄に起こされて目が覚めた。

「兄貴がクローゼットにいた僕を見つけて、コーンフレークを作ってくれました。思い返すとすごいですよね。兄は父親が殺されたことを知っていたので、焦っていたはずなのに、弟のために朝ごはん作ってあげなきゃって。当時の僕は母が殺された記憶が抜けていて、なんでお父さんとお母さんがいないのかなと不思議に思っていました」

 その日、JINさん兄弟は小学校を休んだ。それを心配した担任教師が家に訪れ、夫婦失踪として捜索が開始。その1週間後に腐敗した2人の遺体が見つかった。しかし、犯人特定につながるような指紋は検出されず、指紋や血液鑑定が主流だった当時の捜査は難航した。