17歳のとき、養女と知らされパニックに

 麻生圭子さんは、1957年に大分県で生まれ、東京で育った。両親は音楽好きで、お父さんの生家にはピアノがあり、蓄音機でレコードを聴いていたそう。お母さんは歌が好きで、上手だったとも。そんな両親のもと3歳からピアノを習い、上達も早かった。絶対音感があり、感受性が豊かで、小学校の高学年では音大の先生について特別教育を受ける。

「私も両親も、音楽学校に行くのは、当然のことと思っていたんです」

 音大の附属高校に入るが、心を病み、学校に行けなくなって、中退。

「17歳のとき、麻生の親は本当の親ではない、私は養女だと知らされたんです。戸籍謄本を見せられて、おばさんだと思っていた人が実母で、いとこは本当の姉たちだと」

 麻生家には子どもができず、妻の姉の子どもを養女としてもらった。それが圭子さん。事実を聞かされた多感な少女は、混乱し、苦悩し、自分の出自を憎む。ひきこもり、自傷行為に走ることもあり、学校をやめる。その後も悩まされることになるパニック障害やうつ病はここから始まった。さらに、

「圭子にはかわいそうなことをした」

 と言ってくれていた養父は、入退院を繰り返し、麻生さんが21歳のときに他界した。

 傷心の日々を癒してくれたのは、音楽だった。

「音楽があるから生きられた。音楽が救ってくれたんです」

 その後、大学入学資格試験に合格し、

「絵が得意だったので」

 と美術大学に進学。同時にNHKの音楽オーディションにも受かり、芸能活動も始める。多感な少女は多才でもあったのだ。シンガー・ソングライターを目指して作詞作曲をし、NHKの音楽番組にもレギュラー出演していた。

 22歳で結婚。人生をリセットしようと、大学をやめて専業主婦になった。

「相手は優しい人でした」

 だが、彼は仕事が忙しく、麻生さんの情緒は不安定で、心の隙間を埋めるように猫を飼い、可愛がる。

屋根を歩く今は亡き“まや”
屋根を歩く今は亡き“まや”

「オスのシャム猫で、私の心に寄り添ってくれる猫でした」

 以来、猫派になる麻生さんだが、結婚生活は3年で終止符を打つことに。

 そして1人ドイツ・ベルリンに遊学。壁が壊される前の、陸の孤島だった西ベルリンで10か月ほど過ごしながら、日本語で文を書き、歌詞を書いていた。