どん底主人公の物語
実は近年、小説の世界ではこうしたタイプの物語が非常に増えている。仕事や人間関係で傷つき、どん底に落ちていた主人公が、ふと流れ着いた食堂や喫茶店、居酒屋などで目が覚めるような食事に出逢い、店の主人や常連客らとふれあう中で、自分を取り戻していく。
そこで出逢う人たちは皆、同じように傷を抱えているから、相手の痛みにも敏感で、無闇に主人公を傷つけることもない。『東京近江寮食堂』渡辺淳子、『しあわせのパン』三島有紀子、『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』古内一絵、『最後の晩ごはん』椹野道流など多くの小説がある中で、水凪トリのコミックが原作の『しあわせは食べて寝て待て』は、その団地バージョンともいえそうだ。
そして、さとこは言う。「お金のために無理して働いて、体壊して、その治療代にお金払うなんて、何か違いますよ!」。これはきっと、視聴者が皆、誰かに言ってほしかった言葉に違いない。私もこの言葉で許されたような気持ちになった一人だ。
でも、これは現代のユートピアで、現実はなかなかこうは行かない。私自身も50歳前後から体調不良が長引いて病院を渡り歩いたり、仕事では嘘や搾取が相次ぎ、これからは互いを尊重し合える人とだけ付き合っていこうと思っていたら、そうした相手が次々に異動や退職をしてしまったりした。
社会人として30年以上頑張って来た結果、待っていた景色がこれなのかと、あ然としなくもない。それでもまだ私の前にユートビアは現れてくれないので、まだまだ苦労が足りないのだろうと、自虐的に思ってもみる。だがきっとこれは私だけでなく、同世代の多くの人に共通する心境なのではないか。
鈴はさとこに「よく『果報は寝て待て』って言うでしょ。だから運が巡ってくる時のために、少しでも元気になっていないとね」と話す。もし互いを尊重できる人と奇跡的に巡り合えたら、決して欲張らずに、その関係性は大切にするということだろう。そういう意味では、鈴や司と出逢った時点で、さとこにはすでに「運=幸せ」に巡り会っているのだ。
でも私たち視聴者の前には、そう簡単に鈴や司のような人は現れてくれない。ではどうすればいいのかといえば、こうしたドラマや小説を鈴や司だと思って、自分自身で自分を労わってあげるべきなのだろう。幸い私も、病院に通いながらまともな食事を心がけ、運動を取り入れることで長い体調不良からは脱却しつつある。もし、運が巡ってこなかったとしても、健康を大切にしながらきちんと前向きに生きるだけで十分幸せなのだろう。
「ありがとうSP」では桜井たちが「シーズン2とかあるといいよね」「スペシャルでもいいよ」と話していた。その日をぜひ、心待ちにしたい。