脱出のアクシデントで血液交換を……

老若男女、そして国境を越えてすべての人々を魅了し続けているプリンセス天功のイリュージョン
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【写真】「綺麗すぎる」アイドル時代のプリンセス天功

「危ない! 早く助けろ!」

 浜名湖に怒号と悲鳴が飛び交う。1985年9月に放送された『天功大脱出 浜名湖炎上遊覧船大爆破!』(フジテレビ系)は、天功自身が「死を覚悟した」と振り返るほどの大脱出だった。

 脱出の概要はこうである。起爆装置となる小型遊覧船が大型遊覧船に衝突し、その拍子で大型遊覧船が爆発する。衝突するまでのタイムリミットは3分間。その間に天功は手錠を外し、カプセルを脱出しなければならない。筆者自身、何を書いているのだろうと思うほどの情報量の多さだが、とにかく「炎に包まれる前に脱出せよ」というわけである。

 ところが、天功のカプセルが積まれた大型遊覧船にセットされたガソリン1000リットル(ドラム缶5本分)と爆薬160個が、衝突する前に爆発。端的に言えば、事故が発生し、遊覧船2船はたちまち業火に包まれてしまったのだ。誰の目から見ても“大惨事”だった。

「なんとか脱出しましたが、そのまま救急車で運ばれICUに。煙を大量に吸っていたので、血液交換をしなければならず、脳挫傷寸前だったとも言われました。翌日の新聞には、『脱出失敗』と書かれてしまい、そうなるとさまざまな関係者に迷惑をかけてしまう。それで、『これはすべて演出でした』と私が弁明する事態になってしまって……」

 そう苦笑交じりに話すのだが、どうして彼女が謝らなければいけないのか。どうしてそこまで自分を殺すことができたのか。

「自分の業であると思ったんですね。人間はイヤなことをやらないと生きていけないんだって。18歳で死ぬかもしれなかった私が生きていくためには、イヤなことをやらないと、神様は『生きていていい』と言わないんだと考えていた」

 では、両親はどう感じていたのだろうか?

「わからないんですよね。というのも、上京したとき、森さんから『芸能界は難しい。覚悟がなければ続けられないから、両親の言葉に耳を傾けると迷ってしまう。だから、絶対に会ってはいけない』と言われました。手紙が事務所に届いても、森さんは私に見せなかった。両親と再会したのは、15年くらいたってからだったかな」

 彼女の言葉を聞いていて、鳥肌が立った。人間としての覚悟や諦観が尋常ではない……。

「マジックは、神秘的な世界だから笑ってはいけないとも教わりました。二代目を襲名してからは、声を出して笑うことはせず、面白いことがあっても目を伏せるようにしていました。この時代は、笑うことを忘れていた(笑)。ただ、視聴率を取れと言われたり、失敗したと言わなくてはいけなかったり、そういった葛藤は苦しかったですね」

「東京魔術団」のメンバーたちと。左から2番目がほいけんたさん
「東京魔術団」のメンバーたちと。左から2番目がほいけんたさん

 この時代、天功率いる「東京魔術団」のメンバーとして、ショーのアシスタントを務めていたのが、タレントのほいけんたさんだ。懐かしそうに振り返る。

「人の目があるときは、天功さんは演じるように二代目引田天功であり続けた。でも、仕事が終わると、下っ端の僕にも気軽に『ウチで餃子パーティーをするから来ない?』なんて声をかけてくれるような人でもありました。当時の僕は、食べるのにも困っていたから渡りに船。『これで飢え死にせずにすみます!』と身の上話をしたら、帰るときにたくさんの食材をいただいたこともあった」

 実際は笑い上戸で、ほいさんの言動を「いちいち面白がってくれた」という。

「お姫様のように細かいことは一切しませんといったイメージが天功さんにはあるかもしれないけど、実際は気配りの人なんです。僕が『風呂なしアパートに住んでる』と言ったら気軽に『うちのお風呂使っていけば?』なんて言ってくれて。『おいおい、ずうずうしすぎるぞ』と、先輩たちに制されたのもいい思い出です(笑)」(ほいさん)