年明けからセカンドオピニオン、サードオピニオンを受け、現在は超音波でがん細胞を焼灼する「強力集束超音波治療法HIFU(ハイフ)」による治療を始めたところだという。
とにかく自分が納得して、選択をすること
「娘のアンナと一緒に病院まで話を聞きに行ったんですが、先生が『ハイフ治療を始める前に抗がん剤を使う』と言うんです。もし私ひとりだったら『ノー』と言っていたんでしょうけど、アンナからの『ママ、やって』という言葉で抗がん剤を再開することにしました。
詳しく先生に聞いてみると、抗がん剤はこれ以上腫瘍を大きくしないのとハイフの治療の効果を高めるためであり、毛も抜けないというんです。さらに胸のところにステントを入れる手術をして、そこから薬を入れたり採血もできるようになって、針を入れるストレスがなくなったんです。これはもう救いだなと思いました」
眞弓さんは寄り添って考えてくれるアンナと、納得できるように説明してくれた医師に感謝しているという。
「お医者さんは病気のことや治療のプロフェッショナルなわけで。そのプロが確信を持って『大丈夫』と言ってくれると、聞いている側は『大丈夫なんだ』という気持ちになれる。病気になった人って、お医者さんから言われたとおりにやるのが一番いいと思うのが普通ですよね? それ以上悪くなったり、死んだりしたくないわけですから。
でも『この先生しか頼る人がいない』となると、視野が狭くなってしまう。だからやっぱり精神的に安心できるって、大きいんですよ。そのためには治療方針に納得できるよう、何か所かで話を聞いたほうがいいと思うし、医療機関もセカンド、サードオピニオンをもっとすすめたり、話だけなら無料で聞いてもらえるようになるといいなと思います。
とにかく自分が納得して、選択をすること。もしダメだったら、また違うことを考えればいい。『そんな時間ないよ』と思う人もいるかもしれないけど、やってみなきゃわからないでしょ? とにかくやるだけやってみる。もしもそれでダメなら、それも“良し”とすればいいんです」
がんになってから、これまで何かと衝突していたアンナが優しくなったと笑う。
「先日はシンディ・ローパーとエリック・クラプトンのコンサートに誘ってもらって、一緒に行ってきたんです。親は健康でいるよりも病で弱ってるくらいのほうが子どもは優しくなるのかなと……まあ、これまで私が強すぎたのかもしれませんけどね(笑)」
ハイフ治療と前後して、眞弓さんはこれまでの人生を綴った『人生、あれかこれか』(小学館)を出版した。
渋谷で育ち、22歳でアメリカ人と結婚、そして妊娠、出産を経て渡米、アメリカで子育ての後、家族で日本へ帰国後に離婚、娘がモデルとなったことがきっかけとなり44歳で事務所を設立、まったくの門外漢であった芸能界での仕事を始め、66歳で病を得て考えたことなど、自身の人生を振り返ったことで「生きること」について考えたという。