「こういうのを矢沢は待っていた」
雅勇には作詞家として成功を収めても、忘れられない「初心」があった。
「いつか名前が売れたら、矢沢さんからオファーがあるんじゃないか」
20歳のときにキャロル時代の『ルイジアンナ』『ヘイ・タクシー』を聴いたときの衝撃。文京公会堂にキャロルのコンサートを見に行ったこともあった。
─キャロルのコンサートで受けた感動こそ売野雅勇の原点。
ところがいくら待っても矢沢からの依頼は来なかった。
そこで'88年の夏。雅勇は東芝EMIのディレクターに矢沢への思いを綴った24枚にも及ぶ手紙を託した。すると、福岡県・小倉で行うライブをぜひ見てほしい、という伝言が矢沢から返ってきた。当日、挨拶のために楽屋を訪れると、矢沢からはこんなひと言が待っていた。
「今日は売野さんのために歌いますから。最高のコンサートにします」
ライブが終わり、矢沢に連れられ数軒のバーを飲み歩いた。矢沢が魂の深いところで、ありのままの自分を感じてくれていることがわかった。
「東京に帰って10曲で構成されるアルバムのコンセプトを考え、プランを企画書にすると矢沢さんに送りました」
その年の冬、スタジオに招かれると1本のデモテープが用意されていた。矢沢がアコースティックギター1本で歌っている『SOMEBODY'S NIGHT』。
「売野さんが考える、矢沢を描いてください」
そう言われ、最初の2日間はメロディーを身体に染み込ませるように繰り返し聴き、心を横切っていく言葉をメモしながら『SOMEBODY'S NIGHT』というひと言が象徴する意味を、謎を解くように追いかけた。
─物語の主人公は自分でありながら、他人の夜を過ごす。
『SOMEBODY'S NIGHT』が鍵穴なら「偽名」という言葉こそ、鍵穴にピタリとはまる鍵ではないか。
偽名のサインが切ない避暑地せめても魂(こころ)は裸にしなよ
歌詞を書き上げ雅勇は、矢沢の待つスタジオへ向かった。
「矢沢さんの声を聴くと、いつも特別な気持ちになる。郷愁もある。憧れもある。悲しみもある。ささやかな幸福もある。生きることへの問いかけがある。
つまり人生のほとんどが一瞬にしてその声の中に現れる。こんな歌手に出会えたことを僕は本当に感謝しています」
愛おしくてたまらない矢沢の声の中で雅勇の歌詞が踊る。
「売野さん、すごいね。これだよ、こういうのを矢沢は待っていたんです」
こんなに感動してくれるアーティストに出会ったのは初めてだった。そして、差し出された雅勇の右手を握り返し、
「本当によくぞ、僕の前に現れてくれました。感謝してます」
と、改まった口調で言った。『SOMEBODY'S NIGHT』は'89年4月26日、矢沢の24枚目のシングルとして発表され、この曲を含む10曲中9曲を雅勇が手がけたアルバム『情事』はチャートの2位まで駆け上った。そして翌年リリースされたシングル曲『PURE GOLD』は第1位にチャートイン。これは『時間よ止まれ』以来、12年ぶりの快挙となった。