理解不能な元妻の行動は魅力でもあるが、争いのもとにもなり、離婚の遠因になった。離婚後、元妻は東京を離れ、かねて憧れだった南の土地に移住した。娘から元気に暮らしていると聞き、自分とは違う人生を歩み始めたと実感したという。
「彼女らしい最期だった」
そんな元妻に乳がんが見つかったのは約7年前のこと。東京で手術を受けるも、数年後に再発。ステージ4と診断され、病院に再入院。宮川さんも何度か見舞いに行った。
宮川さん自身は聞いていないが、娘たちには「病院を出たい」と何度も漏らしていたらしい。ある日、娘たちから「ママを病院から自宅に引き取ってほしい」と頼まれた。
かなり悩んだ結果、「娘たちのために」と受け入れを承諾。宮川さんと同居している長女がベッドや車いす、酸素吸入器を用意し、訪問看護などの手続きを行った。そして予定どおり、病院から元妻を迎え入れた。
長女から「自分が面倒を見るから」と言われていたので、手を出さずにいたが、引っ越しの当日、買い物に出かける長女に頼まれ、15分ほど元妻を見守ることになった。
宮川さんが部屋に入ると、元妻がベッドに起き上がっていた。驚いた宮川さんがベッドに寝かせたが、意識が混濁していたのか、ぼんやりとしてひと言も発しなかった。
こうして迎え入れた初日が終わり、翌日の朝。
「ママの様子がおかしい。もうダメかもしれないと、長女が部屋に駆け込んできたのです。結婚して家を出ていた次女と看護師にすぐに連絡しました」
すでに呼吸が浅くなっていて、駆けつけた看護師が「脳が休もうとされています」と臨終が近いことを伝えた。それを聞いた瞬間、ふっと救われた気がしたという。
「看護師さんの“休む”という言葉を聞いて、病気に負けるのではない。十分に闘ってきたのだから、これ以上、闘わなくてもいいんだと安堵したのです」
次第に呼吸の間隔が長くなり、スウッと息を大きく吸うと、呼吸が静かに止まった。医師から余命は短いかもと言われつつも、長期戦を覚悟していた宮川さんは、このあっけない最期に「不思議な旅立ちでした」と心境を語る。その一方で「彼女らしい最期だった」とも打ち明ける。
「次女が妊娠し、半年後には孫が生まれるという状況で、本人も孫の顔を見たいと言っていたのに……。家に来た翌日に息を引き取るなんて。僕の家だと気づいていたかどうかはわかりませんが、天井を見て病院じゃないことはわかったのでしょう。安心して命の炎を消すことができたのではないでしょうか」
自宅に引き取った日、付き添っていた看護師に元妻が「ありがとう」とつぶやいたと聞いた宮川さんは、自分には何のひと言もなかったと、少し寂しい思いをしたという。病状も悪化していたし、仕方のないことだと諦めていたそうだ。