働くことは社会とつながるツールのひとつ

はっぴぃの活動は街から飛び出て、みかんの収穫といったアウトドアなものも
はっぴぃの活動は街から飛び出て、みかんの収穫といったアウトドアなものも
【写真】認知症と診断された翌年、子どもたちとの3ショット

 自動車ディーラーでの洗車とお客様へのプレゼント包装、マンションや製薬会社の掃除、ミカンの収穫、デイサービスの中でやる内職として、身体を拭くシートを密封する仕事。これらは、しのぶさんが営業して開拓したものだ。

 島影さんによると、洗車ははっぴぃのメンバーだけでなく、ディーラーで働く人たちも一緒に行うという。“丸投げ”ではないのだ。

「すると、ディーラーの人たちもはっぴぃのメンバーに対する理解が深まって、これもお願いできるんじゃないかと仕事も広がるんです。例えば“こどもの日”にショールームで配るお菓子の袋詰めとか、花壇の手入れとか。“認知症の人”ではなく仲間として理解し“共に生きる”を一緒に考え、実践する場になっているんです」(島影さん)

 ボランティアは、希望したメンバーが参加するのだが、しのぶさんによると、メンバーがボランティアをすることで変わることがあるという。それまであまり意欲がなかった人が目標ができて活動的になったりするのだ。

「うちは有償ボランティアなので、ディーラーさんで働くと1回830円をもらえるんです。90歳のメンバーは、この年で人様からお金をもらえることはすごく大きな経験だったようで、830円を握りしめ喜んで帰っていかれました。有償ボランティアのお金を1年間貯めて、孫へのお年玉にしている人もいます。今までは家族に世話してもらって“ありがとう”“ごめんね”と言っていたのが、家族からの“ありがとう”をもらえるのはうれしいものです」

 ただ、「働くことが目的じゃない」とも言う。

「働くことは社会とつながるツールのひとつなんです。働きに行かなくても、明日、またはっぴぃに行きたいと思える居場所であり続けたい」

 しのぶさんは、自分の意見をはっきり言うが、しかしそれにこだわらず、「すり合わせる」ことを大事にする。メンバーの反応を見て、一番いい表情や反応が返ってくる方法を柔軟に考えていく。スタッフとの意見の食い違いも話し合いで妥協点を見いだす。

 現在、施設は2つある。最初の香南市の施設と'24年に高知市に開設したそれ。メンバーは2施設合わせて49人、スタッフも27人。当初、誰も来なかったのが嘘のようだ。

 しのぶさんの息子たちもはっぴぃに関わっている。蓮さんは不動産会社で働きながら、セカンド・ストーリーの副理事を務め、修矢さんは介護職として働いている。

 冒頭に書いたように、しのぶさんは、はっぴぃ以外の仕事も増えてきた。講演会のほかにも、'22年には、高知県から、認知症本人大使「高知家希望大使」に任命され、認知症の普及啓発活動などに協力することに。

 さらに'24年には、世界アルツハイマー病協会の国際認知症専門家委員会の委員に就任した。しのぶさんと親しく、国際会議にも一緒に参加したことがある、看護師の鷲巣典代さん(日本認知症国際交流プラットフォーム国際交流委員)は、海外でのしのぶさんの様子をこう話す。

「しのぶさんは少しの英単語と身ぶり手ぶりを使ってコミュニケーションしています。彼女はオープンマインドで駆け引きみたいなものがなくて直球勝負。人と通じ合う力があるから、国境や人種を超えてすぐに仲良くなるんです」

 今年、しのぶさんを主人公にした映画が製作されることが決まり(来年公開予定)、日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)の代表理事に就任した。海外の学会や講演会もあって、今年は韓国、台湾、香港、来年はフランスに行く。鷲巣さんは言う。

「いろんな仕事をしてプレッシャーもあると思うけど、彼女はめげないし、ブレない。それははっぴぃにいる人を幸せにするという信念があるから。その軸足がある限り、彼女は大丈夫ですよ」

 しのぶさんは、これからの活動についてこう話す。

「人生の最終章まで一緒におれる場所をつくるために動きます。講演会で行く各地でも仲間ができて、それぞれで居場所をつくってくれたらなと思っています。それが全国に広がればいいなと」

 若年性認知症の人の数は約3万5700人('19~'20年調査)。また厚生労働省によると、認知症の人の数は'25年中に700万人に達すると推計されている。しのぶさんが発するメッセージや活動は今後さらに貴重になる。

<取材・文/西所正道>

にしどころ・まさみち 奈良県生まれ。人物取材が好きで、著書には東京五輪出場選手を描いた『東京五輪の残像』(中公文庫)や、中島潔氏の地獄絵への道のりを追った『絵描き─中島潔 地獄絵一〇〇〇日』(エイチアンドアイ)など、多数ある。