メンバーそれぞれの苦難
─デビューして15年。武道館公演にたどり着くまで本当にいろんなことが。振り返って、いちばん大変だったことは?
酒井「'07年結成だけど、デビューは'10年で。デビュー前がいちばん大変だったね。メンバーに声をかけてから2年半、デビューが決まらなかったとき。
すでに顔見知りな人&そうじゃない人、個性や収入、立場、年齢、家庭の事情などの違いがいろいろある中で、“全員が主人公であり、必要悪である”という構図を考えて、育ててっていう時間。やっぱり手探りだし、何の実績もないし。でも、自分の野望としては“紅白に出る”。もう必死だったよね。まだ歌もないわけだから(笑)。
それでも、それを現実化させるための熱量をひたすら伝播させていく。あのときがやっぱりいちばん大変だったし、ものすごい力もつけさせてもらえたと思うね」
白川「デビューする前も当然つらくてきつかったけど、でも楽しかったんですよ。僕はデビューしてからのほうがつらかったかな。少しずつ仕事量が増えていき、健康センターに行かせてもらう中で、両耳が難聴だとわかって。僕が思い描く歌と実際の歌がかけ離れ、ぼやけていく。“なんでこれができないんだ”“本当はもっと歌えるのに”って。個人的な話になっちゃうんですが、初紅白くらいまでが、いちばんきつかったですね」
後上「デビュー3年目くらいまでかな。学生でこの世界に入ってきたんですが、デビューは決まらないし、ほとんど仕事はないし。友達思いの人ほど“やめたほうがいい”“おまえ、大丈夫?”って言ってくれたけど、それが嫌で自分から距離を置いて。当時、SNSがあって、友達の楽しい近況がわかってしまっていたら、それが羨ましくてやめていたかもしれない。情報がない時代でよかった(笑)」