宙返りや殺陣ができるという“武器”を生かし、伊勢戦国時代村(現・ともいきの国 伊勢忍者キングダム)、日光江戸村、鎌倉シネマワールドなどでアクション俳優として活躍した。その後、縁あって彼が飛び込んだ世界は─。

ルックスを買われまして(笑)、ホストになりました

一つずつ体当たり状態で解決していくような日々

 ホスト界の帝王として知られた故・愛田武社長のもとで売れっ子ホストとして長年勤務した。

僕が働き始めたころのホストクラブは、お客さまとカラオケでデュエットをしたり、社交ダンスやチークダンスを踊ることが多かったものでした。お金に余裕がある方々が歓談やダンスを楽しむ、まさに大人の社交場だったのです

人気ホストだった20代のころ 写真提供/エレガント桐生
人気ホストだった20代のころ 写真提供/エレガント桐生
【写真】スカウトされるのも納得!桐生さんの人気ホスト時代

 桐生さんは人生の師だという愛田社長についてこう振り返る。

とにかく人を楽しませることが大好きで、お客さまファースト。とてもおとこ気がある人でした」 

 そんな尊敬する愛田社長の魂を受け継ぎ、’20年にダンスフロアがある会員制クラブ

「レジェンド愛」をオープンさせた桐生さん。だが、あるきっかけがもとで“歌手・エレガント桐生”として転生する。

知人から『歌手になって世界配信しないか』という話が舞い込んだのです。歌で笑顔、元気、勇気、生きがい、ときめきを伝えることができれば最高だと思い、即引き受けました

 だが、ここで1つ大きな問題が浮上した。桐生さん、歌があまり得意ではないのだ。カラオケを歌ってもうまいと言われたことはなく、採点でも78点以上を出したことがなかったという。ついたあだ名が「音程迷子」─。

 歌唱力に自信はないが、自分で詞や曲を作って伝えたいことがたくさんある。こうして「音程迷子の新人歌手・エレガント桐生」が誕生した。

 とはいえ、楽曲作り(作詞・作曲)も、レコーディングもまったくの未経験。それに加えてレコード会社との契約・著作権の管理……事務的なことも煩雑すぎた。

何もかもが初めてで、わからないことばかり。とにかく一つずつ体当たり状態で解決していくような日々でした

 そうやって編曲やMV撮影、CDやDVD制作などプロの手を借りつつ、衣装のスタイリングまで、すべて自分で手配してつくり上げた。しかし、またもや新たな課題が浮上する。

自分のやりたいことをすべて詰め込んだ“エレガント桐生”をつくったのはいいんですが、イベント会場を確保するなど、どうやって歌手活動をするか、知名度を上げるかがまったくわかってなかったんです

 そんな桐生さんに、手を差し伸べる人が現れた。イベント運営会社の会長である山口正美さんが、「エレガント桐生」という存在に興味を持ってくれたのだ。