奇行や、やりたいことをし放題の幼少期
両親の離婚が成立。実父の慰謝料で伯父の家に2階を増築させてもらい、剣は母と暮らすようになった。そして、柴犬のコロがやってきた。
「タネオヤジがオレを寂しくさせないようにペットショップに連れて行って買ってくれたんだ。オレはコロのおかげで強くなれたんじゃないかな。アニマルセラピーって、あれ嘘じゃないよ」
子どものころから好奇心旺盛だった剣は、小学校3、4年になるとひとりで電車やバスに乗ってどこへでも出かけていった。
「写真を撮るのが大好きで、コダックの小型カメラを持って外車や美人、羽田で飛行機を撮りまくった。晴海のモーターショー、富士スピードウェイのレースにも毎年行っていた。ひどいときなんて、もう離婚して家にいないタネオヤジの名前を語って、ハイヤーをツケで乗り回したこともあったな。あとで母さんにメチャクチャ怒られたけどね」
学校での奇行もエスカレートする一方だった。
「オチンチンを出して学校から家まで帰ったり、道路にひっくり返って奇声を発する。農家の耕運機で勝手にドライブ。もうやりたい放題だった」
そのたびに母親の豊美は、学校に呼び出された。当時を、こう振り返る。
「周りに教育ママが多くて、ひとりっ子なのになんでちゃんと教育しないのかと口うるさく言われ、まいりました。でも他所様を傷つけたわけではないのだから、私はあまり気にしていませんでした」
母ひとり、子ひとりの寂しさゆえの奇行だったのか。
しかし、そうとばかりは言えなかった。なぜなら、
「ファッションに敏感だったオレは、セオリーにがんじがらめになった型どおりのスタイルが嫌いで、アイビーを崩したジャジーな黒人っぽい着こなしに憧れた。その好みにぴったりハマったのが、VANの子ども向け、VAN miniやVAN Boys。ところがVANは高い。母さんが就職先を探していると知って、VANを扱っている渋谷西武の子ども服売り場に履歴書を送れと命令したんだ。
もっと短いスカートをはけ、もっと大きなサングラスをかけろと、オレはそのころ、母さんのすべてをプロデュースしていたからね」
このころ、剣の中に母を守ろうとする“おとこ気”のようなものが生まれていたのかもしれない。