恥ずかしかったバンド初参加とサングラス

コワモテだけど、話すと優しい。人間的な魅力あふれるクレイジー・ケン(撮影/近藤陽介)
コワモテだけど、話すと優しい。人間的な魅力あふれるクレイジー・ケン(撮影/近藤陽介)
【写真】初めてバンドを組んで歌い出した15歳の横山剣、キャッツアイをかけてのステージ

 中学進学を機に、母・豊美は再婚。剣は横山姓になった。

 チャリンコ暴走族「毒瓦斯」を結成してアタマを張った。

 同時に、通っていた大正中学の不良グループだけで構成されたロックンロールバンド「ライナーズ」にも参加。剣はボーカルを担当することになった。

「ドラムじゃなくてボーカルかよ。まいったなぁ」

 と思ったがノリで引き受けることにした。

 最初のライブは、住んでいた集合住宅の集会所。

「恥ずかしくてずっと下を向いて、キャロルの『ファンキー・モンキー・ベイビー』を歌ってひんしゅくを買った。なんとかしなきゃと思って、横須賀のミワ商会っていう雑貨屋に行って、今でもかけているキャッツアイを手に入れた。これさえあれば、恥ずかしげもなく歌えるようになった。それ以来、サングラスがなきゃスイッチが入んなくなっちゃったよ(笑)」

 そんなある日、横浜野外音楽堂で行われたロックイベント「ラスト・サマー・フェスティバル」に「毒瓦斯」のメンバーと、おそろいの真っ赤なスイングトップに“競馬ポマード”をたっぷり塗りたくって出かけた。

 ダウン・タウン・ブギウギ・バンドをはじめ、当時人気のグループが出る中、剣の心をわしづかみにしたのが「パワーハウス・ブルース・バンド」である。

「真正の不良ロッカーだけが放つヤバさ、横浜ならではの垢抜けたワルっぽさが魅力の鬼すごいバンドだった」

 とりわけ余計なMCなどなく、客に媚びることもなく、ただクールに、かつ熱く、ひたすら英語のブルースロックだけを歌い続けるリードボーカルに、
─イイネ!

 剣のセンサーが反応した。

 その人こそ「東京の内田裕也、ハマのCHIBOW」と呼ばれた竹村栄司である。

 このとき、目指すべき音楽のスタイルが剣にはおぼろげながら見えたのかもしれない。

「中学を卒業したらビートルズを手がけたフィル・スペクターや筒美京平のような作曲家になろう」

 そんな思いから、剣は東京・中野にある堀越高校に進学する。

「堀越には芸能コースがある。俺は歌手ではないが自称・作曲家の卵。堀越に通う作曲家の卵。それもいいかもしれない」

 ところがどこの事務所にも属さない剣が芸能コースに入れるわけもなく、一念発起して大学進学コースに合格する。ところが見ると聞くでは大違いだった。

「バイクもバイトも禁止。髪形やカバン、靴まで指定以外のものはダメ。周囲の反対を押し切って入った学校だけど、結局続かなくて1年半で退学する羽目になってしまった」

 とにかく、まずやってみる。それが剣のスタイル。切羽詰まった人間が本能的に発揮する「火事場の馬鹿力」を頼りに人生を切り開いていく。

「Don't Think Feel(考えるな、感じろ)」

 '70年代、一世を風靡したカンフースター、ブルース・リーのこの名言こそ、数奇な人生を歩んできたクレイジー・ケンこと横山剣には、やはりふさわしい。

小学生時代から独学で身につけた作曲術

 頭の中で勝手にメロディーが鳴り始めたのは、小学校低学年のころだった。

 譜面の読み書きができないから、テープレコーダーにアカペラで録音していた。小学5年のころから、小学校の音楽室や体育館、あるいは団地の集会場にあったピアノやオルガンを自己流に弾きながら簡単な伴奏をつけた。しかし、頭の中で鳴っている和音はもっと複雑で難解だった。

 中学3年のとき、学習塾で一緒に勉強していたピアノが弾けて譜面も書けるグラマーでセクシーな女の子に採譜してもらった。それを聴いた音楽教師に、

「コレ、本当におまえが作ったのか?」

 と、疑いの目でにらまれた。

 これこそ剣にとって最高の褒め言葉ではないか。剣は堀越高校をやめると、本牧のガソリンスタンド「奥村石油」で働きながら、ひとり暮らしを始めた。相棒は作曲用に買ったヤマハのエレクトーン。

「夜8時過ぎに奥村石油から部屋に戻り、エレクトーンの電源をオンにしたらもう朝まで、ヘタすりゃ気を失うまで終わらない。16歳のヘタウマYOUNG SOULが、鍵盤の上でポップコーンのようにはじけた。この時期、クレイジー鍵盤として、孤独を感じる暇もないくらいたくさん曲を作ることができたよ」

 翌年、約1年間世話になった「奥村石油」を退社して、剣は単身ロサンゼルスに渡る。

「アメリカ国籍を持った友達がお父さんの仕事を手伝うためにロスに渡っていた。古着好きだったオレは、その友達から電話をもらって古着の買い付けにロスに向かったんだ」

 フリーマーケット、救世軍のバザール、ウエス(ぼろ切れ)の倉庫など古着のあるところを回り、本牧の部屋はロスから送られた段ボール箱だらけ。これを元手に原宿を中心に古着の行商を始めた。

「土日や祭日は、代々木公園のホコ天や神宮前の古着屋を回り、古着を売った。そのかいあって、気がつけばオレの銀行口座には100万円もの大金が貯まっていた」

 その資金を元に、剣は原宿・神宮前に事務所兼住まいのアパートを借り、東京に進出。ひょんなことから、デビューのきっかけをつかむことになる。