母は90代半ばで認知症を患い、次第にアグネスのこともわからなくなっていった。
「ある日、母に『今日は香港大学で授業をしてきましたよ』と声をかけると、『大学で教えているの? それはすごいことね』と言ってくれました。それは、人生で初めて、母に真正面から褒められた瞬間だったんです」
『明日が必ずある』というのは思い込みだと気づいた
アグネスは認知症の母に会うため、頻繁に香港に帰っていたという。
「私が外国に嫁いだ唯一の子どもだったので、母が生きている間は、そばにいなかった分を取り戻そうと思っていました。母は私が歌う子守歌をすごく喜んでくれ、毎晩ミニコンサートをしていたのがいい思い出です。
晩年、母とゆっくり向き合えた時間があってよかった。『100歳まで生きてほしい』という私たちきょうだいの願いが達成できて、本当に偉いなと思いました」
中国のしきたりで、埋葬する日は風水で良い日を選ばなければならなかったが、偶然にもアグネスの誕生日になったのだそう。
「8月20日でした。本当に母と縁があると思ってうれしかったです」
今は70歳を迎えたことで、あらためて一日一日を大切にすることをかみしめる日々だ。
「乳がんを経験してから『明日が必ずある』というのは思い込みだと気づいたんです。だから、今日あったこと、今日出会った人、一つひとつの公演をどれだけ大事にできるか、それが命に対する敬意だと思うようになりました。目の前にいる人に『大好きだよ』と言えるうちに伝えることも大切です」
アグネスといえば、外国人タレントのパイオニアのひとり。そのため、芸能界にいる外国人の仲間からは「Uの会」のボスとしても知られている。日本にいる外国人の文化人、芸能人、スポーツ選手などが集まる会だ。
「UはUnity、Universal、Unique、Youの意味が込められています。外国からやって来て、日本で頑張っている人に心のよりどころを提供してあげたかったんです。お花見をしたり食事をしたり、ゆるやかな関係で10年以上続いています。年齢を重ねるほどに、人とのつながりのありがたさを感じるようになりました」