右目の視力を失ったことでいじめにあう

アメリカではしばらくの間、空手の先生をして生計を立てた
アメリカではしばらくの間、空手の先生をして生計を立てた
【写真】今もラブラブな吉田夫妻、妻・リンダさんとの仲睦まじいツーショット

 楽しそうに思い出を語る吉田さんだが、実は4歳のとき、家庭内での事故がきっかけで右目の視力を失っている。

「『やーい、片目』『この片目のチョーセンが』って、右目が見えないことや在日であることが原因でいじめられたし、差別もされた。バカにされないようになるには強くなるしかないと思って、中学で空手を始めたんです」

 ケンカに明け暮れる日々を送り、京都でも有名な「ごんたくれ(乱暴者)」となった。そんな吉田さんの未来を誰よりも憂えていたのが、母親だった。

「部活を通じて暴力団の息子と交流があったし、おふくろは『このまま日本にいたらヤクザになる』って思ったんやろうね。おふくろが工面してくれた500ドルを持ってアメリカに渡ることにしたんです。1969年、19歳のときやった」

 中学3年生のときに東京オリンピックが開催され、吉田さんはアメリカの強さに心を奪われた。強いものに憧れていた吉田さんにとって、アメリカは理想の国だった。

「僕はおふくろに『男やったら、おまえを泣かせたやつのところに行ってまた勝負してこい!』『男のくせにメソメソするんやない!』と言われて育ちました。中でも、日本を出るときにおふくろに言われた『どうせやるんやったら、大きいことをせえ』『世間体なんか気にせず、好きなことをせえや』という言葉は、今でも耳に響いてます」

母のソースが「ヨシダソース」の原点

カウボーイハットが吉田さんのトレードマーク
カウボーイハットが吉田さんのトレードマーク

 渡米後の吉田さんは、中古で買った車に寝泊まりしながらアルバイトで生活費を稼いだ。その後、安いアパートに移り、ビザを取得するためにコミュニティースクールカレッジに通い始めた。

 ここで役に立ったのが、強くなりたい一心で習得した空手だった。黒帯有段者の腕を買われ、コミュニティーカレッジスクールで空手の授業の助手を始めたのだ。その傍ら空手トーナメントに出場して賞金を稼ぎ、自分の道場を開いた。最愛の妻・リンダさんに出会ったのはそれから間もなくのことだった。

妻のリンダさんとパーティーにて
妻のリンダさんとパーティーにて

「僕は日本でもアメリカでも、女の子にめちゃくちゃフラれてた。フラれて落ち込んでもすぐに立ち直って新しい出会いを探し、見つけたのがリンダやねん。笑顔に一目惚れして出会って2週間でプロポーズした。恋愛も仕事もみんな同じで、何かを始めるには瞬発力が大切。10秒の決断なんや」

 結婚後、空手道場の生徒は順調に増えていたが、1981年になると不況のあおりを受けて生徒が激減。生徒からもらったクリスマスプレゼントのお返しを買うことができないほど困窮していた。

「そこで思いついたのが、おふくろが焼き肉屋で作っていた手作りソース。8時間かけてしょうゆとみりんを煮込んだソースを瓶に詰め、クリスマスプレゼントのお返しとして渡したところ、好評でね。『お金を払ってでも買いたい』という生徒さんたちの声を聞いて、これは商売になると思ったんです」

実演販売をする吉田さん
実演販売をする吉田さん

 吉田さんはリンダさんとともに手作りソースを作り始めた。これが「ヨシダソース」の原点だ。その後、販路拡大のため「ヨシダフーズ」を設立したが、「ヨシダソース」はなかなか売れない。

 そこで、起爆剤として考案したのが着物姿にカウボーイハットという奇抜なスタイルでの販売だった。

「アホみたいな格好で店頭販売をするたびに、お客さんにゲラゲラ笑われて恥ずかしかった。でも、『ヨシダソース』は売れた。今でも同じことをしているけど、もう誰も僕を笑ったりせん。僕は初心を忘れないために、42年間こうしてカウボーイハットをかぶり続けているんです」

 カウボーイハット姿の実演販売をきっかけに、吉田さんは1983年、創業したばかりの会員制スーパー、コストコと取引を始めた。経営は順調で、憧れだったベンツを手に入れた。

「あのころのアメリカでは調子がいい経営者はベンツやったし、やっぱり乗りたいと思うやん? ベンツ買ったら、『よう頑張ったなぁ』って褒めてくれてもええやん? でも、おふくろは僕に電話をよこして『おまえ、調子に乗ってんちゃうんやろうな』って言ったんです。受話器越しに聞いたその言葉は、いまだに耳に残ってる。

 振り返ってみると、調子に乗った経営者はみんな会社をつぶしてる。見栄を張ってると、会社も人間関係もどこかで破綻するもんなんや」

 ちなみに現在の愛車はプリウスで、どこへ行くにも自ら運転をしているそうだ。「運転手はいないんですか?」と驚く取材スタッフに、吉田さんは「運転手なんていらん!」と断言した。

「運転手つきの車なんて、サラリーマン社長のアホが乗ってるだけやねん。僕の大の友人のフィリップ・ナイトはナイキの創業者で、ジム・シネガルはコストコの創業者やけど、彼らは自分で車を運転して会社に来る。そんな姿を見ていたら、運転手なんてつけられないでしょう。日本人っていうのはほんまに、見栄を張りよんねんなぁ」