国境を越えた絆
それでも一般の選手とともに研鑽を積み、大学時代には苦労が報われることに。
'17年にトルコで行われたデフリンピックに出場すると、200メートルで金、400メートルで銀、400メートルリレーでも金と大活躍。
さらに山田選手を勇気づけたのが、当時初めてデフリンピックで採用されたスタートランプの存在だった。スターティングブロックの前に設置したランプが「赤」から「黄色」へ、最後に「緑」に変わることで、選手にスタートの合図を送る。実は、このランプの開発にも山田選手は大きく関わっている。
「ランプを開発したのは、僕の高校の陸上部顧問だった竹見昌久さんです。スタートの音が聞こえなくて走り出すことができずに泣いて帰ってくる選手を見て、何とかしたいと考えてくれたんです。音を目に見える光にしてくれて、僕も開発に携わるようになりました。自分にとってスタートランプはただの光ではない。“希望の光”なんです」
そんな山田選手を失意の底につき落としたのが、'22年のブラジル大会だった。新型コロナウイルスの影響で大会途中に日本選手団の棄権が決まり、帰国することに。
「棄権が決まったのは200メートルの予選を走る直前のことでした。先に行われた100メートルの決勝でメダルを逃してしまい、気持ちを切り替えていたところで帰国が決まったんです。メダルを取るか取らないかは今後の人生にも影響することです。ライバルが走っているとき、僕は宿舎のベッドの上で、ずっと天井を眺めていました」
失意に暮れた山田選手を救ったのは、'17年のトルコでのデフリンピックで200メートル2位のウクライナ選手だった。
「トルコ大会をきっかけに仲よくなって、終わってからもインスタグラムでやりとりをしていました。それからロシアとウクライナが戦争になり、ウクライナの選手たちがブラジル大会に行けるよう僕はクラウドファンディングを始め、ブラジルで再会し、励ましの言葉を伝えました。そんな彼から“諦めないでよ。また一緒に走ろうね”と動画をいただいたんです。ついこの間までは、励ます立場にいたのに今度は逆に励まされる立場になりました。海を越え絆が深まった瞬間でした。国境を越えて、耳が聞こえない者同士が仲を深めることができるすごい場所なんです」











