『ザ・ベストテン』で初の1位を獲得した『人魚姫mermaid』をリリースしたころの中山美穂さん。アイドルの頂点へ駆け上がっていた18歳
最後に会ったのは1年ほど前。知人の食事会で久しぶりに会い山中氏のガラケーでツーショットを撮った。
「まだスマホじゃないの?」
と、美穂さんにからかわれたことを覚えている。
これが永遠の別れとなった。
お通夜の夜。棺にはドレスを着た美穂さんが、まるで生きているかのような美しい寝顔を見せて横たわっていた。
「久しぶりに会ったんだぞ。寝てることないだろ。早く起きろよ」
そう話しかけても美穂さんは目を覚まさなかった。通夜の後、目を真っ赤にした妹の忍さんが挨拶に来てくれた。
「山中さんに巡り合えたことを姉はすごく喜んでいました」
震える忍さんの声が、山中氏の胸を熱くした。
夏目雅子さんを彷彿とさせる顔立ち
そして迎えた12月9日。
荼毘に付された美穂さんを見送るとき、とめどなく涙が流れ声が詰まった。山中氏の慟哭が東京・桐ヶ谷斎場にこだました。美穂さんと出会って、40年。いや、それ以上の年月がたっていた。
山中氏が初めて美穂さんと会ったのは、1982年6月のこと。東京・原宿の竹下通りだった。
「当時中1だった美穂は、ちょっと浅黒く、猫顔で目力があった。言葉は少なかったけど、夏目雅子さんを彷彿とさせる顔立ちを見て“この子は絶対に売れる”と思いました」
山中氏は自身が立ち上げたモデル事務所『ボックスコーポレーション』を部下に譲ると、美穂さんをスターにするため、自宅に個人事務所『ビッグアップル』を設立。美穂さんと二人三脚でデビューを目指した。











