『べらぼう』の大きな特徴

 今回挙げたのは安田を除けば20代後半~30代前半の役者ばかりで、大河ドラマが新時代に入ったことも感じさせた。

 主人公が市井の人だったのも『べらぼう』の大きな特徴だった。こうした作品は実は極めて少なく、1978年の『黄金の日日』で市川染五郎(現在の二代目松本白鷗)が桃山時代の商人・呂宋助左衛門を演じ、たくましく生きる堺の商人たちを描いたのが代表的。同作は躍動感あふれるドラマとして大河史上でも語り草になっている。

 松本潤の『どうする家康』や2026年の『豊臣兄弟!』など、大河ドラマは武将やその周辺人物のドラマが多く、それは大河らしいスケールの大きさを生む一方、商人など市井の人物が主人公になると、視聴者にとってはより身近で親しみやすくなる。『べらぼう』も吉原に生まれた蔦重が自身の才覚で成り上がっていく姿が痛快だった。

 一方で、為政者側の人物ならそれなりに記録も残っているのに対し、蔦重のような庶民は十分な記録が残っていないことが多い。ドラマ化が難しい分、想像を膨らませ、自由に創作できる面白さもある。

 蔦重は吉原の出身で、同時期に瀬川という花魁がいたこともわかっているが、ふたりにどの程度の接点があったかはわからない。それをあんな悲恋物語に仕上げ、老中・田沼意次(渡辺謙)や松平定信(井上祐貴)らとの関係も、あってもおかしくない範囲で創出した。

 中でも、大人気を博した浮世絵師・東洲斎写楽は、わずか10か月の活動期間で約140点もの作品を制作して姿を消し、正体が誰かわからない浮世絵界最大の謎だった。それをどう解釈するかは、『べらぼう』スタート時から注目されていたが、蔦重がまとめ役となって、多くの文化人が共作をしたということにしていた。

 さらにそれを、人を将棋の駒のように弄び続けた一橋治済(生田斗真)への復讐にも絡めて、最後は影武者を使って島流しにするなど、史実が破綻しない範囲で辻褄を合わせていた。影武者となった斎藤十郎兵衛(生田=二役)は写楽の正体の最有力候補とされている人物で、後世の我々がそう想像するようになったのも、すべて蔦重の仕組んだことだという筋立てには唸らされた。(ただあそこまでの悪人として描いた治済には、落雷で死ぬのでなく、島で途方にくれる姿も見たかったが…)

 フィクションの面白さを存分に味わわせくれた意味では、もともと実力派の脚本家・森下佳子も株をさらに上げた一人といえるだろう。一年間、楽しませていただきました。

古沢保。フリーライター、コラムニスト。'71年東京生まれ。『3年B組金八先生卒業アルバム』『オフィシャルガイドブック相棒』『ヤンキー母校に帰るノベライズ』『IQサプリシリーズ』など、テレビ関連書籍を多数手がけ、雑誌などにテレビコラムを執筆。テレビ番組制作にも携わる。好きな番組は地味にヒットする堅実派。街歩き関連の執筆も多く、著書に『風景印ミュージアム』など。歴史散歩の会も主宰している。