「それが橋さんの心に火をつけたようで、その足で事務所へ向かい、石田社長に“僕、もう一回歌いたいんです”って直談判。許しをいただき、2024年4月に、復帰表明をさせていただきました」
そんな中、橋さんの歌を歌い継ぐ歌手の募集が行われ、「二代目 橋幸夫 yH2」というユニットがデビューした。病気が進行しても、歌への情熱を絶やすことはなかった。しかし、2025年5月、病状が悪化してしまう……。中等度のアルツハイマー型認知症だと診断されてしまった。
橋さんが最期に口ずさんだ歌
6月にはパーキンソン病を併発し、入院することに。そのころから話すことができなくなったという。
「入院中、昼間はアロハシャツを着るようにして、彼の曲をかけていました。今までの日常を壊したくなかったんです。でも、すぐに食事がとれないようになってしまいましたね……」
橋さんは最期を迎えるときには、とても話せる状況ではなかった。それでも、1976年に発売した『人生はまだ語れない』を口ずさもうとしていたという。
「3か月間の療養生活では、24時間ずっと橋さんのそばにいることができて幸せでした」
愛する真由美さんに見守られながら、大好きな歌を最期まで歌いきった。











