怖そうなお坊さんの名前がホラー漫画に
「私が小学校へ上がるくらいのころ、母と妹、母方の伯母とその家族と一緒に宗教関係の集まりに泊まりがけで行ったことがあって。そこで寝泊まりした施設に怖そうなお坊さんの名前がついていて一緒にいた子どもたちが『なんか怖い』と言い出して。
そうしたら、いとこのお姉さんが施設の名前をタイトルにしたホラー漫画を描き出したんです(笑)。私はそのころ漫画を読んだことがなかったので、彼女からコマ割りとか吹き出しなんかを教えてもらって、一緒に描いて。それが私が初めて描いた漫画なんです」
母は宗教団体が発行する新聞を配る仕事をしながら、自分ではなんと6部も購読していたそうで、菊池は廊下に大量の古新聞が積み上がっていたのを覚えていると語る。
「母は30代後半、婦人科系の病気でホルモンバランスが崩れてしまって、突然来た更年期のような状態になって、メンタルも体調も崩すようになって。私は小学5年生だったんですが、母が退院した次の日にもおじさんが集まってきて、麻雀してたんですよ。母は術後でお腹が痛かったはずだったのに、いつものようにお世話をしていて……かわいそうですよね」
菊池はそんな母を「父のことが大好きだったんです」と述懐する。
「父が仕事から帰ってきた後、仲間と飲むために近所のスナックへ出かけるとき、母もよく一緒に行っていたんです。母は父のことが大好きで、自分のことを見てほしくてしょうがなくって、でも見てくれないから一生懸命お世話をして……母としては、父に入信してもらって、宗教が言う“理想の家庭”をつくりたかったんでしょうね」
しかし母は後に自宅で自殺。菊池が中学2年生のときだった。
エスカレートする父に「死んでくれないかな」
学校では仮面をかぶって明るく振る舞う“校内の3バカ”の1人だったという菊池だが、それは相手を気遣い、誰かに迷惑をかけてはいけない、という生き方をしていたからだった。
「母のお通夜のときに仲の良かった友達が来てくれて、さすがにそのときは泣いたんですが、翌日のお葬式のときには明るくしていたので、友達は『もう立ち直ったんだ、良かったね』とビックリしていましたね。
クラスのみんなは母が亡くなったことは知っているんですけど、本当のことは担任の先生だけが知っている状態で。だから私も腫れ物扱いされたくないから、明るく振る舞っていました」
母の死後、父は酒を飲むことをやめ、週末の麻雀もなくなり、早めに仕事を終えてスーパーで惣菜を買って帰宅する生活になった。それもつかの間、毎晩のように酒を飲んで帰ってくるようになる。
「麻雀は頭を使うから、飲みすぎたらできないんですけど、今度は飲むだけだから足腰が立たなくなるまでベロベロになって帰ってくるんです。ちゃんと家までは帰ってくるんですが、玄関のところでダーッと倒れ込んでしまうから、『スーツがシワになるでしょ』と言って起こそうとするんだけど、起きないので脱がせて、そのまま引きずってなんとかお布団へ入れる、というのを10代からずっとやっていました」
父の飲み方は年々ひどくなり、部屋や衣服を汚したり、吐いた後のトイレ掃除なども菊池と妹の仕事になった。そんな父に対して時折「死んでくれないかな」という気持ちも芽生えたという。
「帰ってきて玄関で倒れていても、無理にお布団に入れることをしなくなったり、真冬に暖房を消して放っておくとか……そんなこともしていました」












