父の死─過去の傷と向き合って

 漫画家として活躍していた菊池が40歳になったころ、父のがんが見つかった。

「ある日、突然父がお酒を飲めなくなったんです。それで病院へ行ったら、食道がんで喉がふさがっていて、食べ物や飲み物が入っていかない状態で。検査をしたら肺がんにもなっていて。普通はどっちが原発かわかるものらしいんですが、父が病院嫌いだったことで、どっちが先でどっちが転移先かもわからないぐらい進行していて、余命半年と宣告されたんです」

 治療をしながら仕事を続ける父だったが、しばらくして出先から「片足が使えなくなって、車の運転ができなくなった」と助けを求める電話がかかってきた。なんとか駐車場に止めることができたというので、菊池はとにかく救急車を呼ぶように言い、その場所まで電車を乗り継いで出向き、車をピックアップしたという。その出来事以降、父は急速に弱っていった。

「家のことは妹がやってくれたのですが、私は自分の仕事と父の会社の手伝い、父の世話と病院への送迎をやらなくてはいけなくなって……もうメチャクチャな状態で、寝られなくて、『私がおまえのこと嫌いだってこと、わかってから死ね!』と父にひどいことを言ったり、当たったりしてしまいました」

 きつい当たり方をした菊池だが、父がこれまで自分たち家族にしたことを謝ってほしかったのだという。それに対して父は「わかったよ」とだけ言ったすぐ後、がんが脳へ転移して言葉を発することができなくなってしまった。このことは菊池を苦しめた。

「10代半ばから25年ほど、父が病気になるまで酔った後の世話をして、病気になってからは下の世話までして。パジャマを着替えさせたりしているときに、『またやってるね、懐かしいね』とか言って……でもね、父は病気になってからお酒をやめたんです。だから『あんなにお酒飲んでたのは、何だったの? 飲まずにいられるじゃない』という虚しさがすごくあって」

 治療を始めてから父の実家のある岩手や温泉旅行へ父、妹と3人で出かけ、会社も整理。父は余命半年を乗り越え、がんとわかった2年後の2015年に亡くなった。

 父を見送り、肩の荷が下りたはずの菊池だったが、ひどい自己嫌悪に陥ってしまう。

「私がいい娘じゃなかったから父はあんな死に方したんだ、あんなこと言わなければよかった、という思いが強くて……ずっと泣いてるような状態で、めちゃくちゃつらかったですね」

 しかし自分を責め続ける菊池に「お父さん、感謝してるんじゃない?」と声をかけてくれた友人がいたことで救われたという。

「私にはその発想がなくて、父が私に感謝することがあると思ってなかったから、そこで『そうだったらいいな』って思えたんです。たしかに何かをすると『ありがとな』とは言ってもらってましたから」