漫画家としてデビュー。体当たり取材が持ち味に
菊池は高校卒業後、進学や就職活動をせずにフリーターとして実家にとどまった。
「母が生きていたら、おそらく家を出ていたと思うし、大学にも行っていたかもしれませんね。でも将来の展望ゼロで、なりたいものもないし、勉強する気もないのに大学へ行くってどうなのかな、と思ったりして。本当に未来が真っ暗で、何も考えられなかったんです」
そんな生活が数年続いたころ、友人宅にあった雑誌をたまたま手に取ると、漫画賞の募集が目に入った。
「漫画はずっと趣味で描いていたので、『よし、ここで賞金手に入れるぞ!』と思って、初めて原稿用紙やGペンを買ってきて応募したら、賞に入ったんですよ。大賞ではなかったけど、ちょっとだけ賞金をもらって。
それからいくつか応募したら何回か賞を獲って、4回目に投稿したところでデビューすることになって。24歳のときでした。自分が漫画家になるなんて、まったく思っていませんでしたね」
編集者からの指示で少女漫画を描いていた菊池だったが、まったく芽が出ず、時折読み切りを描きながらアルバイトをする生活が続く。転機は27歳、担当編集者からの「ルポものを描いてみない?」という提案だった。
「それで『描きます、描きます!』って返事して。そこから取材をして描くことが始まりました。最初は浅草のホストクラブ体験記。でも今考えると、なんで歌舞伎町とかじゃなかったんだろう? 生まれた場所に呼ばれたんですかね(笑)」
それからは富士山麓の樹海で寝泊まりして自殺志願者を助けたり、断食修行で危うく死にかける体験をしたり、孤独死した人の家の特殊清掃員の経験を描いたりと、取材は過酷を極めるものばかりだった。
その取材へ同行していたのが、現在も菊池の担当編集者である文藝春秋社の菅原明子さんだ。
「当時は月に1回、一緒にいろいろな突撃取材を続けていました。そしてお互いにサブカル女子で、“だめんず”に引っかかるところも同じでした(笑)」
そして「20年ほど前、取材に来て、初対面とは思えないほど楽しくていろいろな話をした」というのが、今も友人として親しいドラァグクイーンでライター、脚本家として活躍するエスムラルダだ。
「できあがった漫画を見たとき『ここに注目するのか』『あの話とこの話をこうつなげるのか』と、その観察力、発想力、構成力がとても興味深かったですね」
エスムラルダは菊池について「聡明で、あらゆることを面白がり、興味を持ちながらも、自分自身も含めてすべてに対して懐疑的、分析的で、一定の距離感を保って眺めている」と感じ、自分と似たところがあるのではと勝手に思っていると笑う。菅原さんも菊池を「誠実な気遣いの人。自分が好きなこと、心地いいことをわかっている」と評する。












