母に押しつけられる「矛盾」に葛藤

「両親は共に教師で、ふたりが京都に住んでいるときに私が生まれました。父は同志社香里高等学校の数学教師で、母は同志社大学大学院で法学を修め、いくつかの短大などで憲法学を教えていたようです。あの時代においてすごくリベラルな考えを持つ人でした」

 母である笹野貞子は、憲法学者として活躍。夫婦別姓制度導入をいち早く主張していた。

 与野党が逆転した1989年に「連合の会」からの強い要請で立候補。トップ当選して参議院議員に。女性議員を増やす活動にも尽力し、2001年まで任期を務めた。

「母が出馬したときは、ちょうどマドンナ議員旋風のころ。テレビのワイドショーにコメンテーターとして出演していたんですが、視聴者の嫁姑問題の相談とかに言いたい放題で、人気だったようですね。リベラルの塊みたいな人で、NHKの朝ドラ『虎に翼』の世界そのまま。だからこそ、あの時代に女性として上り詰められたんだと思います」

 リベラルな憲法学者とロックバンドのボーカリストという、社会に一石を投じる者同士として意見交換などはあったのだろうか。

「子どものころからいろいろ押しつけられてきて、ずっと距離を置いてきました。学生時代はとにかく一日も早く家から出たいとしか考えていなかったですね。ただ、母は議員になることは最初考えていなくて、私に相談してきたんです。テレビ出演の影響で関西では主婦層から絶大な人気があったので、そこに目をつけられたんでしょうね。

 それで、『普段から女性の地位向上とかいろいろな発言して、力が欲しいと言ってるんだから、国会議員になるのがいちばん早いでしょ』と言ったら、納得していました(笑)。私が後押ししたようなものです」

 と、母とのエピソードをあっけらかんと笑い話にして語るが、ふたりの間には長年にわたる大きな溝があった。

「母が教師として見せる、正論を述べる表の顔と、家庭で私に向ける裏の顔の違い。その矛盾にすごく腹が立って。いくら私が正論を話したところで、即座に言葉を返される。ましてや、子どもの私に痛いところを突かれるから、さらにケンカになる。

 ただ、母が公に発言しているリベラルな考えや行いは間違っていないと思う。女性の地位向上や男女差別問題、LGBTQ+などの問題解決は絶対に必要。だけど、母は正論を話していても人として何か欠けているものがあるし、絶対的な権威主義を押しつけてくる。親を否定したくないけど、人は自由であるべきだと主張しているのに、わが子を屈服させようとする矛盾に、ずっとモヤモヤしたものを抱えていました」

 親のエゴとも取られるような押しつけに悩まされた日々。そんな思春期を、彼女は両親が関わってきた同志社で過ごした。

「女子中学から大学までエスカレーターでした。母が外で発言してきたリベラルな思想には憧れがあり、同志社はその風潮が強かった。親が行っているからではなく、自分で選んだ気持ちが強いですね。母が私にしていることはどうあれ、人は自由であるべきで、その理想は追いかけるべき。だけど、絶対に母みたいな大人にはなりたくないと、常に思っていました」

 リベラルな考えを理解することができる前の幼少期には、どのような教育を受けていたのか。

3歳から高校3年までピアノとバイオリンのレッスンを続けさせられた
3歳から高校3年までピアノとバイオリンのレッスンを続けさせられた
【写真】ファンを夢中にさせた『東京少年』デビュー直後の笹野みちる

「3歳から、ピアノとバイオリンを強制的に習わされていました。それは何かお稽古事をさせるのがいわゆる“1億総中流”と呼ばれた時代として当たり前の風潮だったし、母は今で言う『意識高い系』で、教養にうるさかったので。ピアノもスパルタでしたが、バイオリンはとにかく嫌で。捨ててしまいたいと何度も思いましたが、楽器に罪はないし」

 この葛藤や突き抜けられない自分に対する歯がゆさが、のちにデビューする「東京少年」の歌詞やボーカルに強く表れているのだろう。

「母には“愛”という言葉で置き換えたい、温かさみたいなものがなかったんです。親子のコミュニケーションや一般的な愛情がなかった。子どもの私には、もう虐待やなと思えて。言っても無理と思って諦めて、自分の中でまたたまっちゃって。それが東京少年という形になりました」