同性への気持ちは「深くつながっている感覚」
'91年に3年間走り抜けたバンドの終焉を迎えた笹野は、休学中だった大学をきちんと卒業したいという思いから、学業に専念。約2年間、音楽活動を停止したのちにソロデビュー。'95年、自伝『Coming OUT!』を発売し、同書の中で同性愛者であることをカミングアウト。大きな話題となった。
同年、ソロアルバムを発売するも、心身の不調により、京都で生活することに。地元でアマチュア時代からの友人らと「京都町内会バンド」を結成し、音楽活動をマイペースに再開した。
まだLGBTQ+という言葉もなく、社会が今のように理解のある時代ではない。世間の好奇な目に晒されて心身が弱ってしまったのかと思いきや、そうではなかった。
「バッシングどころか、ものすごく応援されていました。頑張ってとか、私も誰にも言えず悩んでいましたとか、そういうお便りばかり届いて。事務所も一切隠し事をしないから、届いたファンレターを全部見せてもらいましたが、誹謗中傷はまったくなかったです」
自身の中で、同性に対する気持ちが芽生えたことに気づいたのはいつごろだったのだろうか。
「小学生のころは、恋愛自体がまだ理解できていないから、女子中学校に進学したのが大きかったかも。同志社は、育ちのいいお嬢様ばかりで、性的に好きというよりも、“この人は〇〇がうまくて素敵だな”とか、個性や精神性に惹かれていました。
共学だと恋愛の話題ばかりになりがちですが、女子校だから男子の目を気にせず、自分のことを考える時間が多かった。みんな自分の将来に対してどうすればその夢を叶えられるかとか、恵まれた悩みがあります。そういう話題になると、深い話になっていく。会話が恋愛相談じゃないから、人間的な深さをそこで学んで、本当に信じられる友達ができました」
もしも共学に進んでいたら、また違った人生になっていたのだろうか。それとも、また自分と環境の違いに悩むことになっただろうか。
「どうでしょうね。共学だと男女の恋愛がメインテーマになるから、居心地が悪かったかも、自分には親とのコミュニケーションが欠けていたから、本物の友情や親密さとかが必要だったので。女子校でそれに出合えたことが大きくて。ようやく居場所ができたんです。だからあの学校でよかった」
中3のときに笹野をバンドに誘い、音楽人生のきっかけをつくってくれたMさんが当時を語った。
「彼女とは中3のときの同級生で、おとなしめの別嬪さんでした。声が印象的だったのでバンドに誘ったんですが、熱血で厳しく、いつも放課後にビシビシしごかれました(笑)。バンドメンバーの中で一番人気。彼女の目指す理想は高く、いつも思い悩みながら最後までベストを尽くしていました」












