ロックに目覚め、中学でバンド結成
クラシックばかり聴かされてきたが、中学のときに初めてビートルズを聴いて衝撃を受け、ロックの洗礼を浴びた彼女は即座にバンドを結成する。
「あのころはMTVが流行り出して、パンクやニューウエーブが台頭し、ポリスやU2にハマっていました。お金持ちの子が多い女子校だったので、だいたいの子がピアノを習っていました。それに簡単に楽器を買ってもらえる家庭ばかりなので、バンドをやろうよと誘うと、やろうやろうっていう感じでしたね。お嬢様といっても、バンカラな子が多い校風でした」
中学生でロックバンド結成という早熟さ。ほかの世間的な流行りとかに興味はなかったのか。
「バブル全盛期だったので、周りの子たちはブランド物に興味を持ち始めていましたが、私は軽薄な感じがして興味がなかったです。それで同級生と中3のときにバンドを組んだのですが、男性ボーカルの曲ばかり歌っていました。男性ボーカルのハイトーンが私の声域に合っていたし」
笹野はそのまま高校、大学と、ライブハウスや学園祭などのステージをこなし、大学在学中に軽音楽サークルの先輩と組んだ「東京少年」が京都のビクターの社員の目に留まったものの、東京少年のバンド名義で笹野のソロプロジェクトとして動き出す。
バンドにこだわる笹野と話し合いの末、笹野が上京して所属事務所の主導で新たにオーディションを行い、新メンバーによるバンドデビューとなった。
「私の好きなブリティッシュロックなどの音楽性を、バンドメンバーも気に入っていて、この音楽性でいこう、という共通認識で活動しました。でも売れない状況が続き、もっとポップにしようと方向転換。私もギターが弾けないし、面構えが不良なわけでもない。でもちょっと化けさせたら可愛いかもね、みたいな話になったんじゃないかな?
デビューして2枚目のアルバムあたりからバブル時代ということもあってタイアップがついたりして、忙しくなってきたんですが、やりたい方向ではないし、辞めたいなという気持ちが芽生えていたかな。それで、解散の1年前に辞めることを告げました」
人気アニメ『らんま1/2』主題歌の『プレゼント』をはじめ、今でも配信やカラオケで愛されている曲がタイアップでたくさん知られるようになった。
また、バンドブームがピークのころで、レベッカや同期デビューのリンドバーグなど、女性ボーカルと男性ミュージシャンのバンドスタイルもブームとなり、日本中の高校生や大学生が、同じ編成でバンドを組むようになった。
その中でも東京少年はヒットに恵まれないながらも知名度が高く、コアなファンが多かった。大きなホールツアーでないことからチケット争奪戦になるほどだった。そんな、これからというタイミングで解散を決めてからは、やけくそで突っ走ったという。
「最後の1年間は、ゴールが見えたから頑張れた。解散のタイミングもバンドのピークだったから話題になったし、ベストアルバムも売れました。でも私はもう自分の中でバランスが取れなくなって、精神的に限界だったから辞めるしかなかった。
それでも、解散を決めてからのレコーディングは、ものすごく熱かった。彼らの中のプロとしての思いがすごくあって。そのドラマの中にいて、やっぱりこのバンドはすごい!と思いました」
最後にバンドの団結力を感じた笹野だったが、実はメンバーたちが彼女と距離を置いていたことに理由があったことを、解散後数年たってから知ることになる。
「メンバーは全員、絵に描いたようなズブズブの乱れたロックミュージシャンの生き方をしていて、私は絶対にあの中に引きずり込まれないようにしようと思っていたので、お互いに境界線を引いていました。
解散後に再会して言われたのが、私がこっち側に踏み込んでこなくてよかったと。もし踏み込んでいたら一緒に破綻していたって。当時は彼らと隔たりを感じていましたが、そういう認識があったんですね。それがわからなかったから、解散を申し出たときに、『なんでだよ。ここまで一生懸命やってきたのに』と言われました」
肉体的にも精神的にも破綻に向かうような生活を続けていたメンバーがひとりずつ病気で亡くなっていき、その都度、残ったメンバーと会うことに。
「解散してからは交流とか連絡とか、ほぼなかったですね。だけど、コメちゃん(ベースの中村英夫さん)が亡くなったときにみんなで追悼ライブをやったり、カフェライブとか何かしら一緒にやる機会がありました。でも、みんないなくなりました。まだそんな年齢じゃないのにね。あのバブルの時代に、よくも悪くもエネルギーを投入し尽くした結果なんですね」












