佳奈さんを支えた音楽
当時はまだ病気の症状は軽く、学校で暗い雰囲気になるのも嫌だったため、同級生には話さなかった。
「でも先生たちには病気のことを伝えていて、体育の時間などに無理しなくていいよ、と特別扱いされたことが、かえってつらかったのを覚えています」
そうした葛藤の中でも、両親にはこれ以上つらい思いをさせたくないと苦しい気持ちを胸に秘め、一人で抱え込んだ。
「主治医からは、病状は20歳ごろから悪くなることが多いと聞かされていましたが、高校生になると徐々に足の筋力が低下して階段の上り下りも難しくなっていって。病気の進行を自覚して、これからもっと悪くなるんだという不安は強くなっていきました」
そんな佳奈さんを支えたのが大好きな音楽だった。
「中学時代は吹奏楽部に所属してクラリネットに夢中になりました。それから音大を目指して高校は音楽の専門校に通いましたが、19歳の夏、脳の聴神経にできた腫瘍が声帯の麻痺を引き起こし、突然声を失ったんです。音大の受験には歌のテストもあったので進学を断念せざるをえなくて。すごくショックでした」
それでも音楽に触れていたくて、高校卒業後はピアノ教室でアルバイトを始める。しかし20歳で親指の麻痺が起こり、腕の腫瘍を摘出。さらに右側の聴神経に腫瘍ができて右耳の聴力を失ってしまう。
「完全に音楽を諦めなきゃいけなくなり、人生に絶望しました。それからは就職もせずしばらくフラフラして。10代のころが、いちばんつらかったですね」
病気は容赦なく進行し、次々と苦難に見舞われた佳奈さんだったが、同時期に現在の夫と出会ったことで、少しずつ明るさを取り戻していく。
「過去に病気を打ち明けて男性にフラれた経験があったので、夫と出会った当初は病気のことを伝えていませんでした。でも彼のお父さんが私の歩き方を見て、あの子足悪いの?って。
夫は楽観的な性格なので病気を伝えても、そうなんだ~ってあまり気にしてない感じで。その気楽さがすごく心地よかったんです。デートでも私より変な歩き方で歩いたり、頭の手術をして顔面麻痺になった時も私以上に変な顔で写真に写ってくれたり。両親の前ではつらい思いを隠して生きてきたから、初めて楽に生きられる場所を見つけた気がしました」











