そんな有名テレビマンでも、芸能人と一緒に違法行為に手を染めたとあれば、普通ならマスコミの追及から逃げようとするはずだが、彼の場合そうはならない。せんだみつおのコメントがある。

謹慎中の放送は番組史上2位の視聴率

《志村さんと一緒に馬で捕まったときも、フジテレビの2時のニュースでポーンと流したんです。TBSのプロデューサーも関わっていたと。わっとTBSに電話いって。そしたら居作さん、自分で電話取ってたんです。『はい、私がいまテレビに出た居作です』豪傑なんですね》(『昭和のTVバラエティ』太田出版)

事件当時は、日本中のメディアでこの騒動が報じられた(『週刊女性』1981年3月10日号より)
事件当時は、日本中のメディアでこの騒動が報じられた(『週刊女性』1981年3月10日号より)
【写真】日本中が騒然…当時“ノミ競馬”を報じた週刊誌の記事

 プロデューサーがこんな調子だから『8時だョ!全員集合』も「番組は継続、当面はいかりや長介、加藤茶、高木ブーのみ出演」という基本方針が早々に決まる。

 さらに驚くのは、発覚後のメンバーの行動である。発覚翌日の19日木曜日、志村は事情聴取のため、警視庁に出頭している。

 約3時間の取り調べを終えた午後1時半、志村を乗せた車は赤坂のTBSに直行、Gリハーサル室で行われた翌週分の番組打ち合わせに参加している。いったいどういうことか。

《仲本と志村は謹慎を命じテレビには出さない。だが二人にはギャグ、アイデアなどの面で全力投球させる。それが私流のお仕置きだ》(いかりや長介のコメント/『スポーツニッポン』1981年2月20日付)

 かくして、事件発覚後、初めての公開生放送の日が来た。1981年2月21日。場所は埼玉の入間市市民会館で、ゲストは内山田洋とクール・ファイブ、小柳ルミ子、河合奈保子、村木賢吉。

 生放送開始の午後8時、番組のオープニングで、まず、リーダーのいかりやが、カメラに向かってこう述べている。

とんだ不祥事でお騒がせして申し訳ございません。2人は謹慎中で私が出演させません。死んだ気でがんばります

 この日のコントは「ドリフの探検隊!ジャングル脱出作戦」。探検隊に扮したドリフのメンバーが、次々に襲いかかってくる猛獣や天災に悩まされるといった定番のコントだが「洞窟に閉じ込められた志村と仲本を救出します!」といったセリフがあったかと思えば、当時の志村の代名詞となっていた『カラスの勝手でしょ』を加藤が歌うなど、メンバー3人が大奮闘。

 このとき小3だった筆者は、いつになくハラハラしたものだが、日本中の子どもが同様の印象を抱いたのではないか。

 そんな視聴者の熱意が通じてか、週明けの月曜日、視聴率は番組史上2位となる47.6%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録。怪我の功名どころの話ではない。