医療ジャーナリストとして活躍する鳥集徹さん。心の病と長く向き合ってきた妻を自死で失い、突然2人の息子を育てる父となった。深い悲しみと戸惑いのなか、周囲に気持ちを打ち明けられず日々を重ねていく。さらに、「子どもを残して死ぬなんて」という亡き妻に対する世間からの声に、再度絶望を味わった―。自死遺族としての苦しみを告白。
「2018年3月20日、妻が38歳の若さでこの世を去りました。心の病を13年間患った末の死でしたが、本当は最期まで『生きたかった』んだと思います」
こう語るのは、医療ジャーナリストとして知られる鳥集徹さん。2人の息子を残しての、妻の突然の死。幸せな家庭は崩壊を余儀なくされた。
「妻のことを忘れた日は、あれから一日たりともありません。妻の自死は決して身勝手ではなかったことを知ってほしいのと、妻の生きた証を残したくて今回、本を執筆しました」(鳥集さん、以下同)
後悔ばかり渦巻く日々
自死の現場に直面し、病院へ救急搬送された翌日に死亡を確認。深い悲しみの中、親族のみで葬儀を行い、荼毘に付したことを振り返る。
「遺骨を自宅に持ち帰ってから、妻の不在を実感するようになりました。もういなくなったんだけれど、家にいたときの情景がありありと浮かぶんです。いつも座っていたテーブルの向かい側、キッチンや洗面台、愛用の仕事机のところ……と。
妻を感じるたびに、涙があふれて止まらなかった。当時私は50代前半で、涙から遠ざかっていた年齢なのに、自分でも驚くほど泣いてばかりでした」
夜は眠れず、お酒に頼る毎日。食欲は減退し、体重がみるみる落ちた。そんな生活を続けながらも、周囲に気持ちを打ち明けることはなかったという。
「妻が自ら命を絶ったことを、友人などに話すのは、ものすごく抵抗がありました。もし話したとして、理由をあれこれ聞かれたり、同情されたりするのも嫌でした。
事件・事故の被害者の遺族が、メディアの取材を敬遠しますよね。その心境がよくわかりました。悲しみや苦しみの中にいるときは、家族以外の人とは話したくないんですよ。ただただ、そっとしておいてほしいのです」
一方、頭の中は後悔の念で埋め尽くされていた。亡くなる数か月前から心の病で動けなくなった妻に代わり、子どもの世話や家事、仕事と、時間に追われる日々だった。そのイライラを妻にぶつけてしまったのだ。
「あれをしなければ、これをしておけば、妻はまだ生きていたのではないか─。そんな思いが次々と湧いてくるんです。一番の後悔は、妻の症状を軽視していたこと。妻を不安にさせたくなくて、深刻に受け止めないようにしていたのですが、きちんと話を聞いてあげるべきだった。仕事なんか休んで、もっと抱き締めてあげるべきでした。
症状が悪化したとき、抱き締めてあげることで、一時的ながら症状が改善したんですよ。そして、妻が服用する薬のリスクも深刻に受け止めなければならなかった。相応のサポートができなかったのは、医療ジャーナリストとして後悔の念が強いですね」
とはいえ、現実を受け入れて生きていかなければならない。シングルファーザーとして新たな日常が始まり、悲しみや心の傷は少しずつ薄れていったという。
「支えになったのは子どもの存在です。妻は亡くなる前に、『子どもは徹さんが育てて』と、よく口にしていました。息子たちが一人前になるまで見守り、約束を果たさなければならないと思ったんです。
そして、妻はノートに遺言として、『誰のせいでもありません』と書き残していた。この言葉がなかったら、もっと自分を責めて、本格的に病んでいたかもしれません。可愛い子どもの存在と妻の最期の言葉があったからこそ、どうにか踏ん張ることができたんですよ」




















