実際、国民民主党の玉木雄一郎代表が衆院本会議で臨んだ代表質問で、議場内でタブレット使用が認められていない現状に異論を呈した際、ヤジを飛ばされる場面があった。このように、国会中継を見れば野次が飛び交う場面は日常茶飯事だ。

「国会議員は国民の代表のはずですが、価値観は国民と大きくズレが生じています。例えば、学校では『人が話しているときは静かに最後まで聞く』と習いますよね。また、授業中や会議中に居眠りをしていれば怒られるのが普通です。そういった我々の“普通”との乖離が違和感を与え、批判のタネになっています」(前出、政治ジャーナリスト)

 時代錯誤だと感じているのは国民だけではない。日本の国会は世界からも取り残されている。OECD加盟国の8割以上が議会でタブレット端末を使用している中、日本は“品位”というあいまいな理由で踏みとどまっている。

本当に品位がないのはどちらか

 また、多くの先進国がコロナ禍を機に議会のオンライン化やデジタル化を進めた。一方で、日本の国会はリモート出席すら解禁されず、タブレット一つ持ち込めない状況が続いている。

 さらに、「品位を語る資格があるのか」という厳しい意見もある。自民党青年局が公式会合にショーダンサーを呼んでどんちゃん騒ぎをしたり、政治資金パーティーを巡る問題が次々と明るみに出たりする中、タブレットの“品位”を論じることの滑稽さを指摘する声は少なくない。

 “品位”という言葉は、本来、行動や態度に現れるものだ。タブレットを持っているかどうかではなく、議論にどう臨むか、国民の税金をどう使うか、職務にどう向き合うかで判断されるべきものだろう。

 野次を飛ばし、居眠りをしながら「タブレットは品位がない」と主張する。この矛盾に「説得力がない」と多くの国民が不満を抱くのは当然だと言える。本当に品位ある国会とは何か。タブレット問題は、その象徴的な一例に過ぎない。