――そこからセカンドオピニオンを受けられて何度か転院をされたのですね。
大国:初めに入院した病院と脳神経内科のある転院先の病院を含めて、3つの病院にお世話になりました。
萌々:状態が落ち着いて、ようやく呼吸器が外せるようになって、2024年12月にリハビリ病院に転院したんです。私も少しほっとしました。
もう一度、舞台からの景色を見たかった
大国:言語や歩行、体幹トレーニングなど、1日3時間のリハビリをがんばりました。今も週3回、高次脳機能障害のリハビリに通っていますね。
萌々:日常生活ができるまでには、寝たきりだった期間の3倍の時間はかかると言われていたのですが、リハビリ病院を半年で退院。歩くペースはゆっくりですが、横に並んで歩いたり、一緒に舞台に立ったりできるまで回復したのは奇跡やと思います。
――闘病中、大国さんはどんな思いでいましたか。
大国:何度も心が折れそうになりました。薬の影響で太ったり、見た目的にも前の自分にはもう戻られへんのかなって思うことも。でも、また漫才がしたい、舞台に立ってお客さんの笑い声を聞きたい、相方とアホなことを言い合いたいという思いがあって。もう一度、舞台からの景色を見たかったから。
萌々:私は相方がいない間に、一人で漫談を始めることに。不安もありましたが、いつか相方が復帰したとき、漫談をコンビの漫才に変えたら最強やなと思って。2年半で100本のネタを作りました。
神様が「私と大国さんにしか乗り越えられへん試練を与えてくれたんや」と思って、強気でいましたね。
大国:後天性のてんかんと高次脳機能障害の後遺症もあって、言葉が出にくかったり、過去のことを忘れてしまったりすることも。この前も公演中にてんかんの発作が起きてしまって……。
萌々:強い光や大きい音で、てんかんの発作が起こりやすいので、対策として、舞台では照明や音響を控えめにしてもらったり、背もたれ付きの椅子や舞台袖には車いすを用意しています。
発作のとき、全身の力が抜けると失禁する可能性があるので、こまめにトイレに行くよう声をかけるのも私の役目になりました。

















