4・心の闇から『ウィ・アー・ザ・ワールド』へ

 マイケルは児童福祉に心血を注いだ。

少年期の、父によるスパルタ教育によって抱いた恐怖と孤独感、幼少から抱えてきた容姿に対するコンプレックス、そして1984年、『ペプシ』のCM撮影中に頭皮に大やけどをした経験などによる『自分と同じように苦しんでいる子どもたちの力になりたい』という思いからでした」

 映画でも語られているエピソード以外にも世界中の児童施設を訪問しては子どもたちとふれあい、寄付を行っていたという。

1987年9月29日、東京ディズニーランドを貸し切りにしたこともあるマイケル・ジャクソン
1987年9月29日、東京ディズニーランドを貸し切りにしたこともあるマイケル・ジャクソン
【写真】ミッキーを“アテンド役”に、ディズニーを貸切にするマイケル

「おもちゃ好きで知られるマイケルは、世界中で大量におもちゃやぬいぐるみなどを購入し、来日時には原宿のキデイランドにもよく立ち寄り、ネバーランド(マイケルの自宅の通称)や世界中の施設で子どもたちにプレゼントを配っていました。

 自ら主演した3D映画『キャプテンE.O.』で関わるほどディズニーランドが大好きで、来日のたびに来園。護衛を制して詰めかけた報道陣の質問に歩み寄って答えるシーンも報道された。マイケルはファンからもらった手紙や折り鶴を大切に保管していたといいます」

 マイケルの楽曲には環境破壊、人種差別、貧困、反戦、動物保護などをテーマにしたメッセージも多い。アフリカ・エチオピア飢餓救済の企画である、1985年の『ウィ・アー・ザ・ワールド』に中心人物のひとりとして参加。

「ビリー・ジョエル、シンディ・ローパー、ブルース・スプリングスティーン、スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスなどアメリカを代表する45人ものスーパースターが参加したこの作品は世界で約2000万枚を売り上げ、約6000万ドル(当時約150億円以上)の募金が集まり、グラミー賞4部門を受賞しました」

 マイケルは、「自身の名声を人道支援のために利用した」と世界で絶賛された。

5・心を病んだ兄を救うために妹ジャネットが共演

無罪となった児童虐待裁判のときのマイケル・ジャクソン。映画では描かれていない
無罪となった児童虐待裁判のときのマイケル・ジャクソン。映画では描かれていない

 1990年代後半からマイケルはゴシップに悩まされるようになり、アメリカを離れて世界各地を訪れる。

「それまで共演を拒んできた妹のジャネット・ジャクソンは兄を救うために、1993年『スクリーム』に出演。MV製作費は「『スリラー』の10倍以上となる約700万ドル(約7億円)でギネス認定されました」

 2009年、マイケルはロンドンで『THIS IS IT』50公演を発表したが、準備中に急逝。音楽で国境を超えて世界をつなげたマイケルは永遠に語り継がれる。

山本 航 ライター(音楽、映画、企業広告を中心にファッション、グルメ、政治経済、地方行政、福祉、教育、人権、国際問題など多岐にわたる)、音楽・映画プロデューサー、作詞家(日本作詩家協会新人賞・優秀作品賞受賞)、俳優、ハワイアンアーティストなど多方面で活動