母の寿美花代やいとこのちさ子など、親族から「あーちゃん」と呼ばれている高嶋。親戚だけでなく、友達にも『あーすけ』とか『あー坊』とか呼ばれたりしたそう。撮影/佐藤靖彦
母の寿美花代やいとこのちさ子など、親族から「あーちゃん」と呼ばれている高嶋。親戚だけでなく、友達にも『あーすけ』とか『あー坊』とか呼ばれたりしたそう。撮影/佐藤靖彦
【写真】ジョン・レノンやフランク・シナトラとも交流があった高嶋家の家族写真

 そんな環境に育ちながら、高嶋は最初から俳優を志したわけではない。

280万円の借金で舞い込んだ“闇バイト”

 小学3年生でスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』に衝撃を受け、映画監督を夢見た。しかし19歳のとき、自主映画の制作で、当時の彼には途方もない280万円という借金を抱えてしまう。切羽詰まっていたところ、人を伝って聞こえてきた仕事は……。

「『医学の研究目的で腕を折ると40万円』とか、『港に大きなトランクを運ぶと20万円』といった高額バイトの情報が集まってきたんですよね。今でいう“闇バイト”ですよね」

後列左から政宏、政伸、前列左から寿美花代、故・高島忠夫さん
後列左から政宏、政伸、前列左から寿美花代、故・高島忠夫さん

 そんな危ない仕事に手を出しかけるところまで追い詰められていたところ、「状況を(故・)金子信雄さんの息子さんである金子こうじろうさんに相談していたら、それを隣の部屋で聞いていた(金子信雄さんの妻である俳優の)丹阿弥谷津子さんから『ここで親に頼らず、いつ頼るの!』というお叱りをうけたんです」

 両親に土下座し、状況を話すと「肩代わりする。その代わり役者になれ」という条件が。こうして父や兄の付き人をしながら、俳優の道へと足を踏み入れた。

「僕はもともと、右頬に大きなほくろのようなあざがあって、それがコンプレックスだったんです。だから『出る側』は考えていなくて。1985年の初舞台のときも、当初は『監督の勉強のために役者をやるんだ』という意識で臨みました」と、意外な素顔を覗かせる。