人間の怖さとともにせつなさが込み上げてくる作品が六話目の「投了図」。将棋のタイトル戦が行われる町で、古本屋を営む男性の姿が妻の視点で描かれた物語だ。

距離がある人を描きたいと思った

「『神の悪手』という将棋をテーマにしたミステリー短編集を書いていた時期に、『オール讀物』から将棋小説のご依頼をいただいて書いた作品です。この作品では、過去に将棋に打ち込んでいたものの、今は距離がある人を描きたいと思いました。

 また、コロナ禍には首都圏から地方への帰省は強く自粛を求められましたし、その空気感と全国各地で行われる将棋のタイトル戦がうまくつながるのではないかと考えました」

 小説家ならではの怖さを描いたのが、自信作を書き上げたところで「全く同じ構想の小説がWEB上に載っている」と妻に指摘される「代償」。

「こんなことがあったら嫌だな、という想像から生まれた物語です。私自身、なぜそんなことになったのかというオチは決めず、シチュエーションからスタートして書いた物語なので、こんな真相だったのかと驚きました。

 読者の方にも驚いてもらえたらうれしいですし、読み終わったとき、本のタイトルである『あなたが正しくいられたとき』という言葉が表題作とはまた違った響きを伴ってくれたらいいなと思っています」

 芦沢さんが「一番の問題作」と語るのが、三話目の「薄着の女」。密室殺人のトリックを十時柿三郎刑事が解決する物語には、とある仕掛けが施されている。

「5人の作家が、“糸を使って密室をつくる”トリック小説を書いた企画作品です。普段から作品のリアリティーにかなりこだわって書いているので、糸を使った密室というのは私のリアリティーライン(現実度の基準)では無理なんですね。ですから、リアリティーライン自体を変えた小説にしようと思い、今回の仕掛けを考えました」

 十時刑事は五話目の「待てば無料」にも登場する。

「『薄着の女』を読んだ方の間では十時の評判がとてもよく、『また十時さんの話を書いてほしい』と言われていたんです。『週刊文春』から『五分の迷宮』という原稿用紙15枚以内の作品の依頼を受け、その話にも十時に再登場を願いました」