親や環境に甘えないハングリー精神

 1年生から試合に出て部活動を堪能したが、2年生の終わりに進路を考える時期がくると、社長の予言どおり、「やっぱり歌を仕事にしたい」と思うようになる。

 歌から離れたからこそ、歌への思いの強さに気づいたのだ。

 だが、社長にすぐ連絡をとろうとはしなかったのが彼女らしい。

「自分の力で道を切り開いてみたかった。そこで公募していた映画『ションベン・ライダー』のオーディションを受けたんです」

 結果は不合格。だが、オーディションで歌う姿が目に留まり、あだち充さん原作のアニメ『みゆき』のヒロイン・若松みゆきの声優の仕事が舞い込む。

「みゆきは、『ちょっとすっとんきょうなキャラなので、意識せずに、そのままで』と言われました。でも、声優は初心者なので、プロに囲まれた仕事は緊張しました」

 自らの力で仕事をつかみ取った喜びは大きく、覚悟が決まった。

 かつて声をかけてくれた社長に連絡し、週3回の厳しいレッスンが始まる。

「当初は声優の仕事と同時並行でした。友達は残り1年の中学生活を楽しんでいましたが、私はダンスと歌と腹式呼吸などのレッスンざんまい。授業を終えて東京に来ると、お腹がペコペコなので、まずは制服のまま中華屋さんに入ってお腹を満たすんです」

 歌でやっていくと覚悟を決めたからには、1人で行動するのに臆するところはなかった。

「社長には『親と離れて地方から出てきている子も多い。君は環境的に恵まれていてハングリー精神がないから、人一倍努力しなければいけない』と言われました。だからトレーニング量では誰にも負けないぞと思って。舞台役者さんやオペラ歌手に交じって腹式呼吸を必死で会得しましたね」

デビュー当時。アイドルとしてくくられるのは気恥ずかしかった
デビュー当時。アイドルとしてくくられるのは気恥ずかしかった
【写真】再会から3日で結婚を決意!! 荻野目の夫で元テニス選手の辻野さん

 引っ込み思案なのに、負けず嫌い。目標を決めたら猪突猛進、何の迷いもなかった。とはいえ、まだ中学生である。急に大人の世界に入ったことへの不安はなかったのだろうか。

「姉(慶子)は俳優の道を歩み始めていて、生活リズムも違ったので相談したことはありません。とにかく家族に弱音を吐いたことはないんです。自宅では、仕事の話もしなかったですね。自分で決めたことだから当然だし、それ以上に自分の道に没頭できる喜びが強かったのかもしれません」

 干渉をせずに見守る両親のもとで、10代だった姉妹は自立心を育んでいった。

 デビュー前は、キャンペーン活動で全国各地のイベントに出演。デパートの屋上やショッピングモールの駐車場でも歌ったと振り返る。なんと、全国47都道府県すべてを回ったという。

「デビュー曲が決まる前はカバー曲を歌っていましたが、毎日、人前で歌えるのが楽しくて仕方なかった。

 姉が映画『南極物語』で名前を知られるようになったのと、アニメ『みゆき』の影響で、人が結構集まってくれたんです。目の前の人に歌を届け、みんなが笑顔で聴いて拍手をしてくれる。そんなダイレクトなやりとりがうれしかった」

 だが、プロになれば、楽しいことばかりではない。デビュー後は、厳しい業界の現実も目の当たりにする。

「歌の仕事に関しては、嫌なことはまったくなかった。当時はアイドル全盛期で、雑誌やテレビで同世代の子と共演も多かったから、和気あいあいとやっていました。ただ、年末の賞レースが話題になると周囲の雰囲気が一変する。テレビ局に事務所やレコード会社の黒いスーツを着た大人の男性たちが来てバチバチした雰囲気になる。それが怖かったですね。賞レースはシビアな世界で、まだ子どもだった私はなじめなかった」

 '84年、高校1年生のとき、『未来航海―Sailing―』でソロデビュー。年に3枚のシングルと1枚のアルバムという周期でレコードをリリース。

「私自身は充実していたんですが、ベストテンには届かない。そうなると、社長が焦り始めて……。今思えば、借金を抱えて投資してくれていたわけですし、こうすれば売れるという法則もない。ヒットは奇跡みたいなもので、タイミングとか世相とか、いろいろなことの巡り合わせなんだと思います。でもそういうチャンスをつかむには、スタッフも私もずっと努力をし続けなければいけない」