「アイドル像」に抗う“くそまじめ”な少女

 そして7枚目のシングルでチャンスが訪れた。『ダンシング・ヒーロー』である。

 年齢に合わせた少女っぽい曲から路線変更、ユーロビートに乗せた大人の曲に荻野目自身も惹かれた。

「一番上の姉の影響で、私は洋楽が大好きだった。だから『ダンシング・ヒーロー』は、いつも自分が聴いている曲に近づいたと感じました。歌い手としての意識を自分で高めていく作業は必要でしたけど、苦ではなかった。今聴くと、当時の声は幼いですけど」

 実は、歌は好きだが活動そのものには違和感を抱いていた。当時はアイドル全盛期。若い子がデビューすると、すべて「アイドル」でくくられてしまう。

「違和感を言葉で表現できなかったし、自己演出ができる年齢でもなかった。『衣装のフリルを少なくしてほしい、ヘアメイクもあまり可愛らしくしないでほしい』と言うのが、私のせめてもの抵抗でした」

 当時の歌番組を思い返すと、荻野目は控えめなのに、歌い始めると圧倒的な輝きを放っていた。自分の世界を持っているという意味で、「普通のアイドル」ではなかった。

「10歳のころ、山口百恵さんの『プレイバックPart2』に衝撃を受けました。歌にドラマがあり、自分の世界観を持っているところがすごいと思っていた」

 そんな気持ちが『ダンシング・ヒーロー』という楽曲とピタリと合ったのだろう。

 大ヒットだったと思いきや、実はミリオンセラーには達していなかったそうだ。

「時代を代表する歌のように言われていますが、それがあの歌の『魔力』なんだと思います。長い年月、飽きずに聴いていただける。いろいろな巡り合わせで、私があの歌を歌うことになったのも不思議ですね」

 荻野目は「巡り合わせ」と表現するが、絶えず努力を重ねて、一つひとつの出会いやチャンスを成功へとつなげていったのだ。

『ダンシング・ヒーロー』を歌う際、好きなマドンナのミュージックビデオを何度も見て、あるステップに魅せられる。それがチャールストンステップ(脚をツイストさせながら軽快に踊るステップ)だ。どうしても入れたいと振り付けを担当した三浦亨さんに相談した。

 三浦さんは「そういうこともありましたね」と笑う。

「彼女は、自分のことをダンスが下手でノリも悪いと、感じていたようです。そんなことないのにね。とにかく“くそまじめ”なんです。振り付けに忠実に踊らなければと、よくスタジオに残って練習していた。社長が『先生は背中が歌ってるけど、洋子は背中が歌ってない』なんて煽るから、彼女は余計に頑張る。素直でいい子だけど、自分自身に対して厳しくて頑固だなと思った記憶があります」

 自ら決めた歌の道で、彼女は自分の考える「完璧」を目指したのだろう。アイドルの枠から少し逸脱していた少女は「歌では誰にも負けたくない」と自分を鼓舞していた。