錚々たるメンバーが参加したデビュー盤

 東芝からプロデビューが決まった当初、プロデューサーにバンドの「ティン・パン・アレー」ミッキー・カーチスが候補に挙がった。そしてまず、スタッフは尾崎を連れてミッキー・カーチスの自宅を訪問した。

「ミッキーさんに、“君のことはとてもいいと思うけど、デビュー作はティン・パン・アレーがいいよ。この先たくさんいろんな経験をして、大人になったときに僕にプロデュースしてほしいと思ったら、そのときに何か楽しいことをしましょう”って」

 そして、松任谷正隆プロデュースによってデビュー。彼の人脈により、さまざまなミュージシャンがレコーディングに参加した。

「Hi-Fi SETのみなさん、山下達郎さん、吉田美奈子さん、鈴木茂さんなどすごい人が次々と参加してくださって、プロになってよかったと思いました(笑)」

 松任谷は新人の尾崎をとても気に入り、2枚目のアルバム『MIND DROPS』も担当。この作品は、松任谷自身に今まで手がけた作品の中でベスト3に入る名作だと言わしめたほど。しかし、尾崎にとって初のヒット曲である『マイ・ピュア・レディ』は全体の雰囲気に合わないといって、松任谷は収録から外した。

「でもね、後になって“俺が悪かった”って言われました(笑)」

高校2年生のとき、京都勤労会館のステージでギターを弾く尾崎亜美
高校2年生のとき、京都勤労会館のステージでギターを弾く尾崎亜美
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 松任谷由実と同じレコード会社、同じプロデューサーということで、デビュー当時はポストユーミンと呼ばれたが、松任谷は「亜美は亜美だよ」と言って、まったく違うアプローチで携わってくれた。

「松任谷家にはよく泊まりに行っていたんですが、ユーミンも松任谷さんがすごく私のことを認めていると教えてくれて、“ずっとマンちゃん(正隆)とやってね!”と言ってくださいました」

 ちなみにデビュー盤と2作目のアルバムタイトルは、ユーミンが名づけた。こうして華々しくデビューを飾った尾崎だが、クラシック少女がどのように作詞・作曲をするようになったのか。

「『マイ・ピュア・レディ』が初めてヒットしたときも入院していたんですが、子どものころから病気がちで、毎日天井を見ながらいろいろな空想にふけっていたんですね。初めてのオリジナル曲は、高校生のときに作った『ひとりっこカバっこ』。のちにNHK『いないいないばあっ!』で使用されました。

 NHKの方から、何か親子で聴けるような子ども向けの曲はないですかと相談されて、この曲と『せんたく じゃぶじゃぶ』というのがありますと渡したら、両方気に入られました。

 深夜番組『11PM』のテーマ曲みたいに、“カバダバダ~”って歌ってます。子どもってこういう言葉遊びが好きですよね。私がキダ・タローさんで育った影響もある。関西生まれなので、いつもどこかでキダ・タローさんの音楽が流れていました。ああいったキャッチーでコミカルなものが自分に刺さるというか、関西の血というか(笑)」