夫婦二人三脚で歩み続ける音楽の道
友人たちがみな口にするように、心が折れかけたときにいつも支えてきたのが、夫の小原礼だった。
「初めて会ったのは、私のロサンゼルスでのレコーディング。スタッフがみんな外国人で、唯一の日本人が現地在住だった礼さんだったので味方だと思っていたんですが、めちゃくちゃ厳しくて。今思えばいろいろ勉強になったんですが、当時は“感じ悪いわ~”って思いました(笑)。彼とは、音楽、料理、クイズ、バスケットボールや相撲観戦など、共通の楽しみが多いから一緒にいて楽しい。長く一緒にいればイラッとすることはあるけど、彼が長く素晴らしい音楽活動をしてきたことに対するリスペクトを、忘れないようにしています。あと、お互いめちゃくちゃ褒め合ってます」
その小原が、楽曲制作やレコーディングから、日常生活のすべてにわたり、尾崎をサポートしてきた。ロスでの出会いを彼はこう振り返る。
「僕たちの初めての出会いは、ロサンゼルスでの亜美ちゃん(そう呼ぶことにします)のアルバム録音のときでした。尾崎亜美の音楽をあまり聴いたことのなかった僕は、楽曲の楽しさと歌のうまさに驚いたことを覚えています。僕はロサンゼルス在住だったので、それからしばらく会う機会もなく、久しぶりの再会は日本での『桃姫バンド』というプロジェクトでした。相変わらずの歌の素晴らしさに僕はすっかりやられて、ラブレターを書いてロサンゼルスに戻り、それからSNSなどない時代だったので、長いファクス文通が始まって、だんだんと仲良しになっていきました。
お互いに食べることが大好きで、よく料理や食材の話をしていました。ある日、僕が亜美ちゃんを中華料理に誘ったときに、黒酢を煮詰めた酢豚が出てきて“これってバルサミコを煮詰めてもこんな感じになるよね”と言うと、“そうね、アミノ酸の発酵の感じが似てるのかな”などと、バルサミコ酢とかほとんどの人が知らなかった時代に普通に会話している、自分たち2人の将来が垣間見えた気がしました。わりと長い遠距離交際期間を経て、僕たちは'97年に結婚しました。結婚20周年に、黒酢酢豚をいただいた中華料理に行って乾杯したのは感慨深かったです」(小原)
そして、50周年イヤーを二人三脚で走り出した。
「尾崎亜美は今年50周年を迎え、全新曲書き下ろしのアルバムを制作しました。タイトルは『amiism』。尾崎亜美の現在地がここにあります。仲間たちの愛にあふれた素晴らしいニューアルバムです。亜美ちゃんは長いこと介護し続けていた高齢の母を亡くし、声帯の手術も経験して、なかなか以前のように曲が作れず歌も思うように歌えない日々が続いて、“礼ちゃん、もう歌うのやめるわ”といつか言われるのかなと思ったこともありました。
それでも亜美ちゃんは、ゆっくりだけど少しずつ我慢強く、自分の音楽を探し歌い続けて今この場所にいます。でもこの場所が最終地点ではありません。この50周年はこれからの尾崎亜美の再出発点なのです。応援してね。僕たち2人はこれからも音楽をやり続けていきます。お互い違う現場もありますが、いちばん信頼できる相棒なので、来年企画していることが楽しみです。もう一度、応援してね」(小原)
絶大な愛情と信頼を寄せるパートナーと二人三脚でこれからも歩んでゆく尾崎に、今後の展望を尋ねた。
「もはや上昇志向がなくて、上を目指すことよりも自分が思ったことをそのまま伝えられるかどうかが、究極の目標です。それは平ったくてもいいから、そのままの自分を伝えていきたいです。それに、音楽で人とつながっていることがうれしい。実は今年の3~5月に咳が止まらなくて、喉が硬くなってたんですね。それで医師に診ていただいたら、とにかく歌って喉の筋肉を鍛えなさいと。それで散歩中もマスクをしてずっと歌ってました。
私はできる、と言い聞かせてエネルギーを振り絞っていたらいい曲ができて、うれしくて泣きながら書いていました。こうして仕上げた50周年アルバムは全曲書き下ろしにこだわり、やりきった自信作です。50周年で全国ツアーをするので、お近くの方はぜひお越しください」
尾崎は自分をスーパーポジティブだと言い、コミュニケーション障害でいじめられても、私には音楽という言葉があると語った。この発想の転換が、メンタルを変えるきっかけになるのだろう。そして彼女の音楽には、そんな魔法の粉がたくさんふりかかっている。ぜひ、ニューアルバムを手に取り、ご家族やご友人とライブを楽しんでほしい。
取材・文/山本航 撮影/近藤陽介


















