厳しく叱る"苦しくて仕方のない"子育て

「親としても、私は本当にダメだったんです」

 24歳でさやかさんを出産。「自分自身の生い立ちから、子どもが小さいころは厳しいしつけが私の信念でした。いい子になってほしい、それが子どもを幸せに導くと信じて、悪いことは絶対にやめさせようと厳しく叱っていました」

 さらに、26歳のときに生まれた長男に対しては、厳しい育児がエスカレートしていった。

「男の子は乱暴することもあるし服をドロドロにしたり、物を壊すこともあるけど、そこでは私は怒らないんです。でも、お姉ちゃんが楽しく遊んでるところに行って、それを奪い取ってグシャグシャにして捨てちゃうとか、そういうことが許せなかった。それで厳しく叱ると、もっと悪いことを重ねて、それに対して私ももっと強い力で叱って。"言ってもわからなかったら今度は叩くからね"とシッペをしたときは、自分でもものすごくつらかったです」

 いつの間にか苦しくて仕方がない育児になっていた。愛情で「この子をよくしてあげよう」と思っていたはずが、「なんでわからないんだ」という怒りに変わってしまっていたのだ。

「そこが私は一番ダメだったんです。叩かれた息子は、好きなお母さんに怒りをぶつけられたという思いしかないので、めちゃくちゃ傷ついたと思うんです。そのことに気づいたのはだいぶ後ですけど」

 幼稚園のみんなと同じ行動ができない息子を叱り、周りからも悪い子のレッテルを貼られた長男は、ますます反抗的になっていった。

「その子どもが苦しむ姿を見て、これは私のやってきたことが間違ってたのかもしれないと気づいていきました」

 毎日のように子どもたちを公園へ連れ出し、好きなように思う存分遊ばせて、叱らないように心がけた。

「自分の今までの失敗を認めて改心したんですよ」

 30歳のときに生まれた次女のまーちゃんには、生まれたときから現在まで、1度も叱ったことがないという。しかし、そんな中でも夫婦のいさかいは続いた。

「ケンカしてる様子を子どもたちに見せない努力はしてたんですけど、家の中の異様な空気に子どもたちは怯えるし、悲しい気持ちに包まれていたと思います。何よりもそこが最大のダメ親でした。家の中で孤立を深めていった夫は、この家で支えになるのは長男だけだという感じで取り憑いたというか。息子の教育は俺がやるからおまえは口を出すなと、長男に固執していったんです」

 家庭の中で父と息子、母と娘たちという断絶ができてしまった。夫はプロ野球選手になりたかった自らの夢を長男に託し、小学生のころからスパルタ教育で野球を教え込んだ。それは、長男が高校に入ってから悪い仲間とつるむようになり、野球をやめてしまうまで続いた。