家を出たくてスチュワーデスになる

 高校卒業後、短大に進学した里岡さん。就職することは考えていなかった。

「当時の女性は、花嫁修業のひとつととらえて短大に行く人もたくさんいました。就職しても結婚するまでの “腰かけ” ととらえる人は多かったですね。私も例に漏れず、短大卒業後は何をするでもなく半年間は実家にいましたが、だんだん親の結婚に対する “圧力” のようなものを感じ、 “このままうちにいたら、本当にお見合い結婚させられてしまう!” と、慌てて就職活動を始めました」

自宅で成人式の着物を着て。まだCAになることすら考えていなかった
自宅で成人式の着物を着て。まだCAになることすら考えていなかった
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 スチュワーデス(CAの当時の呼び名)に決めたのは、飛行機好きだった父のOKが出やすいと踏んだから。当時、「憧れの職業No.1」の業界だったが、里岡さんにとっては、親元を離れるための手段にすぎなかった。

 1986年、男女雇用均等法が施行された年に入社。これからの里岡さんの活躍を暗示するかのようなタイミングで働き始めた。

 親元から初めて離れて寮生活を体験し、3か月の研修のあとのフライトデビュー。さぞや舞い上がった気持ちになったかと思いきや─。

「淡々としていましたね。スチュワーデスへの憧れがなかったので、頑張らなくちゃ! という気負いもないし、あの人に負けたくない! という野心もない。ただ、 “与えられた仕事は、きちんとやろう。相手が期待している少し上ぐらいを目指していこう” ということは意識していました」

 里岡さんが駆け出しのころに心がけていたのは、「先輩のようなスキルはないのだから、せめて、身だしなみだけでもきちんとしていよう」ということ。服装、ヘアスタイル、お化粧などはいつも念入りにチェックしてフライトに臨んだ。

 そのこだわりが、すごいのだ。

 会社から支給されるスチュワーデスの制服は、フライト後にクリーニングボックスに入れておけばプレスされた状態で届く。当然、その状態でもきれいだが、里岡さんはプレスされた制服をビニールから取り出し自分でアイロンを当てなおし、次のフライトに備えてロッカーにかけておいたそうだ。

「家を出たい」不純?な動機でなったCAだったが……。入社2~3年目の23歳ごろギャレーにて
「家を出たい」不純?な動機でなったCAだったが……。入社2~3年目の23歳ごろギャレーにて

「母がよく、 “ちょっと手をかけるだけで洋服は輝き、質のよい素材に見えるのよ” と言っていたので、その教えを実践しました。実際、ピシッとアイロンをかけておくと、スーツもブラウスもなんだか仕上がりが違うように感じるのです。身だしなみを整えているときは、母とつながっているような気持ちになりました。 “里岡さんが着ている制服は、みんなとまったく違うように見える!” と、たびたび褒められました」

 この習慣は、その後もずっと続いた。里岡さんは、毎回、プレスされた制服に必ずアイロンを当てた。それはいつしか、「いつも、身だしなみが整っている人」という評価につながっていった。

 また仕事中は、「平常心」を心がけた。

「平常心」とは、ふだんどおり。すなわち、「感情が安定している」ということだ。

「人間ですから、好不調の波はあります。心に余裕があるときはなんでもうまくいきますが、恋人になかなか会えない、家族が病気になったなど、感情を揺さぶられるような出来事があったときは、それにとらわれてしまいますよね。でも、心に余裕のないときこそ、いかに早く気持ちの切り替えができるかが肝心だと思っていました」

 それは、ある人に「心はいつも中庸がいい」と教わったことを心に留めていたからだ。中庸は、『論語』の中の《中庸の徳たるや、それ至れるかな》という孔子の言葉だ。なにごともやりすぎてはいけない。かといって、遠慮しすぎるのもよくない。適度にバランスのいいことが最高の人徳だと示されている。

「要は “偏るな” という意味だととらえています。ポジティブなら右に振り切れ、落ち込んだら左に振り切れるような振り子のような感情では、気持ちがすり減ってしまいます。心ここにあらずになりやすいから、身だしなみも適当になり、仕事のミスも増えてしまいます。だから私は、なるべく中庸を意識しました。すると、どんな人と接するときもニュートラルな心で相手と向き合うことができるようになり、心地よくいられる時間が増えていきました」