異国で戦う姉の背中に心打たれた

 わずか10か月で離婚し、母親のもとに身を寄せてからは、引きこもりがちになった。その生活から、久田を引っ張り出したのは、アメリカに暮らす姉からの電話だった。

「しばらく、こっちに来ない」

 事前に母親が状況を伝えていたのだろう。10年ぶりに話す姉が誘った。折しも、2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起きた年の冬だった。

「テロの影響で飛行機はガラガラだから、横になって来られるよ」、姉の言葉に背中を押され、渡米を決めた。

 シアトルの空港には、米国人の姉の夫と、2人の子どもたちが迎えに来ていた。しばらく観光して、向かった先は、姉が勤務する病院。19歳で渡米した姉は、猛勉強の末、外科医になっていた。

「待たせてごめんね」

 手術室から出てきた姉を、久田は直視できなかった。

「めっちゃ成功してるじゃん」、まぶしすぎたからだ。

「19歳で渡米するとき、姉は中学時代に買ってもらった古ぼけたリュックを背負って旅立ったの。その姿を、私は高価なチンチラの毛皮を着て見送った。なのに、どう? 姉は異国で成功し、立派な仕事と幸せな家庭を手に入れた。すべて失った私と大違いじゃないって」

 姉の家には3か月滞在した。ある日、深夜に帰宅した姉を出迎えると、目が赤かった。泣いている、すぐに気づいた。

「このとき姉は何もなかったように台所に入ると、夜食を作りながら、呪文のように唱えてた。“こんなことで負けたら、命がいくつあっても足りない”って」

 勤務先の病院までは、片道250キロ。早朝に車で出勤し、帰宅は深夜だ。過酷な勤務に、人の命を預かる重圧、日本人への見えない差別─。

 それでも、負けるもんかと姉の背中が言っていた。

「その姿に、自分が恥ずかしくなった。日本語も通じない、親しい友達もいない異国で、姉がどれだけ苦労してきたかに気づいて。ちゃんと生きよう、せめて人に迷惑かけずに、って、このとき思ったのよ」

離婚後、激やせして、シアトルの姉のもとを訪ねた。甥、姪たちと。異国で外科医として奮闘する姉の姿に心を打たれた
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 帰国後、金融関係の仕事をしていた久田が、いつもなら気にもとめない話に、アンテナを動かしたのも、姉に刺激を受けたからだろう。

「それが、第三者検証の話」

 歌舞伎町時代の最初の客で、久田が『師匠』と呼ぶ、ソフトウエアのCSK(現・SCSK)のグループ会社役員に呼び出されたときのことだ。

「師匠とは年に数回、食事をするんだけど、会うたびに、第三者検証の話を聞かされてたの。私は興味ないから、検証って何? 現場検証? なんて聞き流してたんだけど、その日は違った。初めて本気で聞いてみて、直感したの。これは、イケるって

 師匠は熱く語った。デジタル化が進み、世の中のすべてがソフトで動く時代になる。ソフトやアプリの欠陥の有無を、第三者が検証するニーズが出てくる。消費者の目線、女性の目線がほしいと。

「うちの会社に来るか?」

 久田は迷いなく答えた。

「はい! 行きます!」

 こうして、2002年秋、IT業界に飛び込んだ。久田、27歳のときだ。