元島民100人の心を動かして

 翌年、軍艦島での不思議な体験をモチーフに大西さんが監督・撮影を務め、黒沢が音楽監督を手がけたイメージDVD『廃墟賛歌 軍艦島01』を自主制作。わずか15分足らずの映像ではあったが、手応えを十分、感じていた。

「デザインフェスタに出品したところ、見に来た女性たちから“ここはどこですか?”“日本ですか?”と聞かれるので、廃墟だと説明すると“ここに住んでみたい”と言う声もあがり、軍艦島の魅力を再認識しました」

 しかも、この作品を見た日活から声がかかり、軍艦島を題材とした本格的なDVDのリリースが決まったのである。

 しかし喜んだのもつかの間思わぬ困難が待ち受けていた。

「軍艦島について国会図書館で本格的に調べてみても、資料は『高島炭鉱史』『三菱鉱業社史』『軍艦島実測調査資料集』、この3冊しかない。これには愕然(がくぜん)としました」

 黒沢は、大西さんたちと何度も軍艦島を訪れ、地図もない中で炭鉱アパート群や商店街、街の施設などカタチの残るものを撮影した。

「実際に歩き回ってみると、ここには何があったのかな、と考古学的な疑問が湧いた。それをひとつずつ解明していくうちに、島のイメージが立体的に立ち上がり、この島を造り上げた人々の力強いパワーが眠っている場所だと気がつきました。すると、瓦礫の山だと思っていた廃墟の島・軍艦島が僕のなかで輝き始めたんです」

 それだけではない。

 軍艦島に暮らした三菱の職員、炭鉱マン、商売していた人たちなど100人以上に会い、当時の暮らしぶりに耳を傾けた。

「元島民とお酒を酌み交わすうち、島で生きてきた人たちの息遣いがはっきりと聞こえるようになりました」

 昼夜を問わず炭鉱マンが働く眠らない島には、パチンコ屋や映画館、さらに料亭や遊廓まであったことを知り、そのころの人々の営みが黒沢には愛(いと)おしく思えた。

 軍艦島では名の知れた『厚生食堂』で生まれ育ち、現在長崎市内で『タイチ寿司』を切り盛りする木本太市さんのもとには、今でも頻繁に通ってくるという。

「私が軍艦島の同窓会の世話役をしているので、長崎に来ると必ず寄ってくれます。店ではよく軍艦島出身者と島の話をつまみに焼酎を飲んでいました。ここの者はお酒を飲まない人間は相手にしませんから。酒が強かったことも絆(きずな)を深めるきっかけになったのでは?(笑)」

『タイチ寿司』を営む木本さんのお店には軍艦島の絵が飾られ、かつて使用していた器も大事に保管されている
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 現在、軍艦島コンシェルジュと『軍艦島デジタルミュージアム』のプロデューサーを務める久遠裕子さんは、その人たらしぶりを絶賛する。

「黒沢さんは誰からも嫌われず、誠意ある対応をしていたので、最初は頑(かたく)なだった島の人たちも心を開いて話をしてくれるようになったのでしょうね」

 軍艦島の魅力にすっかり惹かれた黒沢は、日活からリリースされたDVDのほかにも『軍艦島全景』(2008)、炭鉱の視点から物語風にまとめた『軍艦島入門』(2013)、新書『奇跡の世界遺産 軍艦島』(2015)など関連書籍も数多く取材執筆している。

『軍艦島全景』の編集を担当した『ワンダーJAPAN』編集長・関口勇さんは、こう話す。

「資料が少なかった軍艦島を自分自身の足で取材していった苦労は並大抵ではありませんでした。目先の利益にとらわれず、面白いと思ったものにトコトンのめり込むのが黒沢さん。今後もその“嗅覚(きゅうかく)”のままに突き進んでほしいですね」

ワンダーJAPAN TV『軍艦島スペシャル』ロケ風景

 閉山後、わずか半年でゴーストタウンと化した軍艦島だが、平成20年に「長崎市端島見学施設条例」が成立。翌年、観光客も上陸・見学ができるようになる。

 そして平成27年。軍艦島は「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして世界遺産となり上陸者数も100万人を突破。瓦礫の島が一躍、観光の島として脚光を浴び始める。

 何もないところから、その歴史に目を向け、軍艦島のバイブルを作ってきた黒沢にも称賛の声が寄せられた。