嘘が通用しなかった恩師

中学卒業時に母と。「18になったら出ていって」と言われてきた
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 昌美さんが住んでいた寮には、静岡県内から集まった視覚障害のある子どもたちが暮らしていた。朝6時半に起きて顔を洗い、食堂でご飯を食べる。8時くらいには学校へ行き、3時過ぎには寮に戻る生活だ。同じ年齢の子はおらず、下級生の面倒を見るのは上級生の仕事だった。

 昌美さんが小学6年生のとき、彼女の人生を方向づける恩師と出会った。特別支援学校の教師、原田栄さん(68)だ。原田先生は、昌美さんと初めて会ったときのことを鮮明に覚えていた。

「赴任してすぐ、学校の廊下を歩いていたら、可愛らしい女の子が教室から顔を出して、私が通り過ぎるのを見守っていたんです。でも、その表情には“こいつはどんなやつなのか品定めしてやろう”という、したたかな感じがあるの。外見はすごく可愛らしい子なのに、一方で妙に大人びていて、そのギャップが大きかったですね」

 その後、昌美さんの担任となると、原田先生はすぐに昌美さんに文学的素養を見いだした。

「算数は苦手だったけれど、想像力が豊かなんです。読み聞かせをすると、ふたりの中でその情景が共有できるような感覚がありました」

 原田先生は国語の時間には副読本を多く用いて、昌美さんの言語能力を伸ばしていった。昌美さんのテープ起こしの才能は、原田先生の指導によって培われたのだろう。

 昌美さんにとって「自分の能力を伸ばしてくれる教師」は初めてで、生活面でも厳しかった。与えられた課題に手を抜くと「甘えるな」と怒る。安定した家庭生活を送ってきたとは言いがたい昌美さんは、大人を操るすべに長けていた。しかし原田先生は違った。「言い訳は聞かないよ」「人の気を引くために媚を売るな、つかなくていい嘘はつくな」と容赦ない。

「うっとうしいなと思うことも多かったけど、ちゃんと目を見て話をしてくれるし、先生の言っていることは正しいから、受け止めざるをえませんでした」

 ライオンのように厳しい母と甘えを許さない原田先生。彼らの方針は「自立」だった。

 中学を卒業した昌美さんは浜松にある特別支援高校に入学。しかし学力が足りず、入ったクラスは昌美さんの希望とは大きく異なった。

「作業着を着せられて畑に行ったり、クッキーを作ったり。でも、普通の会社員になりたかった私には興味がありませんでした」

 しかも教師には「お前には社会人として働く能力はない」と言われてしまう。障害者の作業所に入っても月収は数万円もらえればいいところだ。自立にはほど遠い。