「映画関係のイベントに出演されていたし、いろんな会合にもよくいらしていたんですけど、今年の夏は全然、顔を見なかったんです。入院されていたそうで、重い病気じゃなければいいのですが……」

 そう話すのは、小山明子(84)の古くからの知人だ。小山は昭和の大女優であり、映画『戦場のメリークリスマス』などで世界的に知られる故・大島渚監督(享年80)の妻だ。

「'96年に、大島監督は仕事先のロンドンで脳出血を起こして倒れ、右半身が麻痺して歩行の自由を失いました」(スポーツ紙記者)

“介護うつ”になり、何度も自殺を考えた

 女優の仕事は断って、大島監督の介護に専念した小山。だが、壮絶な闘病生活に、小山自身も病に侵されてしまう。

「大島監督に思うような介護ができていないと感じて“介護うつ”に。'00年までの間に4回も入退院を繰り返し、何度も自殺を考えたようです」(同・スポーツ紙記者)

 '13年に大島監督は死去。その後、介護の経験を活かして公演も行っていたのだが、

「今年の夏、猛暑のせいもあって体調不良に。持病の腰痛も悪化して、大事をとって8月上旬から入院されていたそうです」(芸能プロ関係者)

 しかし、そんな小山の姿が、8月24日に都内で行われていた映画関係のイベントにあった。映画上映後にトークショーもこなしていた小山本人を直撃した。

──入院中と聞きましたが?

「もう大丈夫です。足のしびれが残るくらいで……」

──入院の理由は?

「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)の手術を受けていたんです。今後はリハビリのために通院します」

 女優の貫禄と笑顔を見せつつ、隣にいた男性に支えられながらタクシーで去った。